浅井茂猪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浅井 茂猪(あさい しげい、1889年明治22年)1月4日[1]1956年昭和31年)5月22日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)。ジャーナリスト

経歴[編集]

高知県安芸郡羽根村(現在の室戸市)出身[1]高知県立第一中学校を卒業し、小学校に勤務した[1]。その後、早稲田大学に入り、1917年大正6年)に政治経済科を卒業した[3]。『土陽新聞』記者となり、シベリア出兵に従軍記者として派遣された[1]。その後、土陽新聞社社長に就任した[3]。また高知市会議員、同参事会員、高知県会議員、同副議長に選出された[2]

1938年(昭和13年)、衆議院議員に補欠当選を果たした。

その他、高知県書籍雑誌商組合長、高知木工工芸学校長などを務めた[3]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。 
  • 板垣会『憲政と土佐』板垣会、1941年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。