沢永彦四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沢永彦四郎

沢永 彦四郎(さわなが ひこしろう、1879年明治12年)2月15日[1] - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚台湾総督府官僚。旧名太吉

経歴[編集]

富山県西礪波郡福岡町(現在の高岡市)出身[1][注 1]第四高等学校を経て[2]1901年明治34年)、京都帝国大学法科大学政治科、同経済科を卒業し、統監府属となった[1]1910年(明治43年)、朝鮮総督府属となり[3]、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[2]。その後、朝鮮総督府営林廠事務官鎮南浦府尹、逓信局事務官・海事課長などを歴任した[1]

いったん退官するが、1929年昭和4年)に台湾総督府総督官房会計課長として復帰した[1]1931年(昭和6年)、台湾総督府専売局参事となり、神戸支局長を務めた[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時の富山県は石川県の一部。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 台湾統治と其功労者 1930, pp. 198–199.
  2. ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、196頁。
  3. ^ a b 大衆人事録 1932.

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版』帝国秘密探偵社、1932年。 
  • 橋本白水『台湾統治と其功労者』南国出版協会、1930年。