永祥寺 (井原市)

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永祥寺
所在地 岡山県井原市西江原町5512
位置 北緯34度38分0.62秒 東経133度29分33.81秒 / 北緯34.6335056度 東経133.4927250度 / 34.6335056; 133.4927250座標: 北緯34度38分0.62秒 東経133度29分33.81秒 / 北緯34.6335056度 東経133.4927250度 / 34.6335056; 133.4927250
山号 禅洞山
院号 不明
宗旨 禅宗
宗派 曹洞宗
寺格 荏原那須氏菩提寺
創建年 1387年
開山 実峰良秀(峨山韶碩門)
開基 那須資道、那須資英
正式名 禅洞山永祥寺
法人番号 1260005005380 ウィキデータを編集
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永祥寺(えいしょうじ)は、岡山県井原市西江原町にある曹洞宗の寺院。山号は禅洞山。

当寺が所在する西江原町は、那須与一屋島の戦いにおいて扇の的を射落とした功の恩賞として与えられたとされる5か所の荘園のうちの一つ、備中国荏原荘にあたる[2]那須氏はもともと下野国本貫であり、荏原荘は分家の荏原那須氏が治めていた。当寺は、嘉慶元年(1387年)に那須資道、資英親子が荏原那須氏の菩提寺として、峨山韶碩門下の実峰良秀(峨山二十五哲の一人に挙げられる高弟)を招いて創建したと伝わる[3]

境内には那須与一が屋島で扇の的を射る際に邪魔になるとして破り捨てた右袖を納めたとされる「袖神稲荷大明神」があり、扇の的の故事になぞらえて祈願必中の社として信仰を集めている[4]。寺域には荏原那須氏の墓所がある他、やや離れた山中に那須与一公墳がある[5][1]

出典[編集]

  1. ^ a b 那須与一の墓”. 井原市観光協会. 2020年6月21日閲覧。
  2. ^ 他4か所は丹後国五賀荘、若狭国東宮荘、武蔵国太田荘、信濃国角豆荘[1]
  3. ^ かさおか遊歩 - 作州往来の道標と道祖渓の渓流の交わる谷の「禅洞山永祥寺」”. 2020年6月16日閲覧。
  4. ^ 岡山県内神社巡り(メイン)” (2017年4月19日). 2020年6月16日閲覧。
  5. ^ 禅洞山 永祥寺”. 井原市観光協会. 2020年6月21日閲覧。