横芝光インスリン殺人未遂事件

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横芝光インスリン殺人未遂事件(よこしばひかりインスリンさつじんみすいじけん)は、2006年2月に容疑者が逮捕されたことによって発覚した千葉県横芝光町で発生した保険金殺人未遂事件である。

経歴[編集]

国際見合い結婚[編集]

後に逮捕されることになる犯人の女Aは、もともと中国・黒竜江省出身の中国人(現在は日本に帰化)だった。1993年お見合いを行なって21歳も年上のBと結婚する。親子に近い年齢差がありながら結婚した理由は、中国の家族に対する仕送り、自らが日本に行けば贅沢な暮らしができるという願望を抱いていたためといわれる。しかしBの実家は千葉県の50戸ほどしかない静かな田舎にあり、Aが抱いていた願望とはほど遠いものだったという。だが、やがてAとBは金銭トラブルを頻繁に起こすようになり、不仲になっていく。またBの父Cや母Dも、Aが先祖伝来の土地を取ろうとしていると猜疑し、Aに対して厳しく金銭を制限するようになる。

謎の事件[編集]

1995年12月28日、Bの実家の母屋が全焼し、焼け跡からC、Dの遺体が発見された。司法解剖により、Cは絞殺、Dは撲殺されていたという。焼け跡からは焦げた紙幣や貴重品を入れた金庫なども発見されており、しかもBの実家にいる犬に異変がなかったことなどから、実家のことを詳しく知っている人物が疑われた。その中で最も動機のある人物として疑われたのがAである。Aは仕送りや土地問題をめぐってC、Dと対立しており、動機もあった。そのため警察は事情聴取を行ない、遂にはポリグラフ検査を行なったが、証拠を挙げることはできず、この事件は迷宮入りとなった。

なお、Aは後にインスリン事件で逮捕されて刑が確定した後、拘置所で夫のBによる犯行という手記を書き上げている。警察はインスリン殺人未遂事件の後、この事件も再調査している。

熱湯による傷害事件[編集]

AはBと不仲ながらも2人の子供を授かった。また、数年我慢すれば日本の永住許可証を得られると考えて、不満を持ちながらも夫婦生活を続けていた。しかし2人の間では金銭トラブルが絶えず、遂にAは2人の子供と中国に帰省したとき、そのまま中国に置いて来るにいたるなど、夫婦間の亀裂が決定的になる。Bが激怒して子供を連れ戻すように約束させると、Aは中国に出発する直前の2003年10月18日に沸騰したミョウガ茶を寝ていたBにかけて全治5ヶ月の重傷を負わせた。

インスリン殺人未遂事件[編集]

Bは入院中、A受け取りとする生命保険がかけられてしまった。そしてAはEと知り合い、死因のわからない薬を手に入れたいと話を持ちかける。Eは最初は相手にしなかったが、何度も相談してくるAにインスリンを渡してしまった。

2004年4月1日、Aは退院して実家に戻っていたBに睡眠薬を飲ませて寝込んでいたところを、通常の10倍以上のインスリンを注射するに及ぶ。その翌日、Bが意識不明に陥ったため、Aは救急車を呼んで病院に搬送させた。Bは一命を取り留めたが、脳障害を起こして植物状態になってしまった。

Bは5年4ヵ月、一度も意識が戻ることなく2009年7月26日、59歳で死去した。

末路[編集]

Aは夫が植物状態になると、口座から金を引き出したり、土地を売ろうとしたが、かなわなかった。Bは入院していたとき、Aの執拗な金への性格を危険視し、自分に何かあったら解剖し、財産や子供をすべて任せるという遺言を弟をはじめとする親族に任せていたのである。このため、弟らの親族が事前に土地や口座を抑えていたのだ。また、Bが植物状態におちいったことを親族が不自然に思って警察に捜査を依頼する。

そのためAは浅草に逃亡し、風俗嬢として働き始める。ここでAは整形して抜群のプロポーションも相まって人気風俗嬢になり、さらに自分の店を持つにいたるが、2006年2月7日、浅草で以前Bに熱湯を浴びせて障害を負わせた容疑で別件逮捕。さらに後にはインスリンでBを殺害しようとしたとして殺人未遂でも逮捕された。

2007年3月9日千葉地裁は傷害と殺人未遂でAに懲役15年の判決を言い渡し、東京高裁も同年12月26日控訴審判決で一審判決を支持。Aは上告を断念して刑が確定し、2021年1月現在服役中である。

手記[編集]

Aが獄中で書き上げた手記は2011年4月11日発行、田村建雄著「中国人『毒婦』の告白」(文藝春秋刊、1300円)に収録されている。

関連項目[編集]