樋口恵仁

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樋口 恵仁(ヒグチ ケイジン、旧姓 小野寺、1923年~)は新潟県詩人装丁家[1]であり、「えちご豆本」の主催者。

経歴[編集]

元国鉄職員であり、駅鈴を研究していた。マレーシアで覚えた民謡「ブンガワン・ソロ」を愛する。

第二次世界大戦に出兵する以前、詩集内で「あのひと」と称される女性と万代橋のたもとで会う約束をしていたが、戦後会えることはなかった。

作品[編集]

出版されている本の一覧(URLは図書館で閲覧可能なもの)

編集に関わったえちご豆本

  • 【にいがた建物】越後屋書房 1963 (えちご豆本)
  • 【にいがた坂】えちご豆本の会 1963 (えちご豆本)
  • 【佐渡】越後屋書房 1966 (えちご豆本)
  • 【にいがたのおもかげ】越後屋書房 1967 (えちご豆本)


作品【女王のボタン】


いつの間にか

女王のボタンは無くなっていた


南の国で終戦をむかえると

わずかな衣服と

日用品を詰め込んだ袋だけ持ち

短期間ごとの移動を繰り返し

強いられるはげしい労働に堪えた


どこへ行っても宿泊するところは

夜空が透けて見えるバラックで

植物の葉で編んだ薄い敷物に

戦友と体をよせ合い

つかれをいやす日々が続く


そうした日常の中で

果物の女王といわれる

マンゴスチーンの種を三つぶほど

紙切れに包み 袋のすみに入れ

いつも大切に持ち歩いた


指先に乗るほどに小さく

扁平で丸く焦茶色で

あやしい数本の白い縞模様があり

軽くて風に飛びそうな

品のよいかわいらしい種子


〈女王のボタン〉とひとり名付け

ときに そっと取りだしてながめ

すさんでくる心をいやしながら

移動を繰り返しているうち

いつか宝物の種子は袋から失せていた


気品とやさしさに満ちていた

南の国で別れた女王のボタンよ

知らない土地で根をおろし

亭々と葉を広げているだろうか

共に過ごした日々を覚えているだろうか

脚注[編集]

  1. ^ [座標軸]中島悦子さん 各駅停車の言葉と出会う”. 新潟日報デジタルプラス. 2022年9月13日閲覧。

引用元[編集]