柳沢里済

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柳沢里済
時代 江戸時代中期
生誕 宝永6年(1709年
死没 享保20年11月2日1735年12月15日
別名 里住
諡号 鷲峰院一枝道華
墓所 東京都新宿区市ヶ谷河田町正覚山月桂寺
官位 従五位下刑部少輔伊勢守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
越後黒川藩
氏族 柳沢氏
父母 父:柳沢保教、母:田中氏
養父:柳沢経隆
兄弟 鈴木祐政、安弘、里光、青木光房、里済
側室:鈴木氏
養子:里旭
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柳沢 里済(やなぎさわ さとずみ)は、越後黒川藩の第2代藩主。官位は従五位下、刑部少輔伊勢守。里住とも。

経歴[編集]

大和郡山藩士・柳沢保教柳沢吉保の姉婿である柳沢信花の養子)の五男。母は田中氏。享保10年(1725年)、先代藩主の経隆が早世したため、その養嗣子として跡を継ぎ、同年12月18日に叙任する。大坂加番や日光祭礼奉行を務めるなどしたが、養父同様に享保20年(1735年)11月2日、27歳で江戸牛込の藩邸にて死去した。跡を養嗣子のが継いだ。なお、経隆は松平姓の名乗りを許されていたが、里済の代から改めて柳沢姓を称することを命じられている。法号は鷲峰院一枝道華。墓所は東京都新宿区市ヶ谷河田町の正覚山月桂寺。

系譜[編集]

父母

側室

  • 鈴木氏

養子