村田信乃

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村田 信乃(むらた しの、1875年明治8年)7月15日[1] – 没年不詳)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将山口県防府市長

経歴[編集]

山口県出身。1895年(明治28年)に陸軍士官学校を卒業し、歩兵少尉に任官[1]1901年(明治34年)に陸軍大学校を卒業し、参謀本部に出仕した[1]歩兵第38連隊長、第16師団参謀長、朝鮮総督府附武官、同御用掛、歩兵第26旅団長を歴任して、1923年大正12年)に陸軍中将に昇進[2]。同年に予備役に編入された[2]

その後、1944年(昭和19年)に防府市長に選出された[3]。市長は翌1945年(昭和20年)まで務め、戦後、公職追放となった[4]

栄典[編集]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 人事興信録 1918.
  2. ^ a b c 人事興信録 1941.
  3. ^ 日本の歴代市長 第3巻 p.190 1985.
  4. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、385頁。NDLJP:1276156 
  5. ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
  6. ^ 『官報』第4341号「叙任及辞令」1897年12月18日。

参考文献[編集]