木村隆之

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木村 隆之(きむら たかゆき、1965年1月28日 - )は、日本実業家

来歴[編集]

1987年に大阪大学工学部を卒業し、同年トヨタ自動車に入社する[1]。海外向けの商品企画や営業といった業務に従事した[1]。在職中にノースカロライナ大学に留学し、MBAを取得する[1]

2007年にファーストリテイリングにユニクロ営業副本部長として入社したが、2008年には日産自動車に移り、2009年にインドネシア日産社長となる[1]インドネシア日産では3年で販売を倍増(3万台→6万台/年)、アジアパシフィック日産では販売記録を樹立(36万4千台、2013年度)し、現在に至るまで過去最高販売記録となる。[要出典]2012年にはアジアパシフィック日産社長兼タイ日産社長に就任した[1]

2014年にボルボ・カー・ジャパン代表取締役社長に就任[1]ボルボ・カー・ジャパン在籍中は5年で販売台数40%増、売り上げ80%増を達成。また輸入車初となる日本カー・オブ・ザ・イヤー2連覇を達成。(2017-18XC60, 2019-19XC40)[要出典]

2020年3月よりボルボ・カー・ジャパン顧問を務めた後、2021年1月よりグループPSAジャパン社長に就任[要出典]

2021年7月より、マセラティジャパン代表取締役、アジアパシフィック(除く中国)統括責任者に就任、現在にいたる。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000078.000049127.htmlhttps://newsroom.groupepsajapan.jp/news/20201228_psaj_new_ceo[編集]

  1. ^ a b c d e f 最高の顧客が集まるブランド戦略 ボルボはいかにして「無骨な外車」から プレミアムカーへ進化したのか - amazon(「著者について」を参照)