昭侯 (蔡)

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昭侯
王朝
在位期間 前518年 - 前491年
姓・諱 姫甲
諡号 昭侯
没年 紀元前491年
姫有

昭侯(しょうこう、生年不詳 - 紀元前491年)は、春秋時代君主。姓は姫、名は甲。蔡の隠太子姫有の子で、悼侯の後を受けて蔡国の君主となった。

紀元前509年、昭侯はに赴き、昭公の作った佩玉と裘を身につけていたところ、楚の令尹嚢瓦(子常)にこれを求められた。昭侯が渡さないでいると、3年のあいだ抑留された。紀元前507年、昭侯は佩玉と裘を子常に与えて帰国した。昭侯はに赴いて、楚への進攻を要請した。紀元前506年、昭侯は晋を中心とした召陵の会に参加し、楚に対する進攻に参戦した。蔡軍は召陵の会に参加しなかったを攻撃し、これを滅ぼした。この年、蔡は楚軍による包囲を受けた。・蔡・の連合軍が楚に進攻し、柏挙で楚軍を破った。

紀元前494年、楚を中心とする連合軍により蔡は包囲された。昭侯は国の移転を計画し、呉に協力を要請した。紀元前493年、蔡は国を呉の州来に移転した。昭侯は移転に反対する公子駟を殺害した。紀元前491年、昭侯が呉に赴こうとしたところ、さらなる国の移転を恐れる大夫たちによる襲撃を受け、矢を射かけられて殺害された。在位28年。

参考文献[編集]

先代
悼侯
の君主
紀元前518年 - 紀元前491年
次代
成侯