日下部大麻呂

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日下部大麻呂
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下
主君 聖武天皇
氏族 日下部宿禰
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日下部 大麻呂(くさかべ の おおまろ)は、奈良時代貴族宿禰位階従五位下

経歴[編集]

天平9年(737年)の2月から4月にかけて、持節征夷大使藤原麻呂によって陸奥国の多賀柵(多賀城)から出羽国出羽柵秋田城)まで、蝦夷の男勝村(雄勝郡)を通して道路を建設する作戦が実施された際、日下部大麻呂は後方の守りにあたる牡鹿柵を守備するために駐屯した(このときの官位は従七位下陸奥大掾[1]

天平20年(748年)2月19日に正六位上から従五位下に昇叙された[2]。その他の事績は不明。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平9年4月戊午(14日)条。
  2. ^ 『続日本紀』天平20年2月己未(19日)条。

参考文献[編集]