新川神社 (富山市)
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新川神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 富山県富山市新庄町2丁目13-47 |
位置 | 北緯36度42分00.3秒 東経137度15分17.0秒 / 北緯36.700083度 東経137.254722度 |
主祭神 |
大己貴命(大新川命) 白山比咩命(大新川姫命) 天照皇大神 菅原道真公 |
社格等 | 国史見在社・旧郷社 |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 4月19日・10月19日 |
新川神社(にいかわじんじゃ)は、富山県富山市新庄町にある神社である。旧社格は郷社。
祭神
[編集]大己貴命・白山比咩命・天照皇大神・菅原道真公を主祭神とし、琴比羅神・建御名方命を合せ祀る。大己貴命を「大新川命」、白山比咩命を「大新川姫命」と称して尊崇されており、『国史大系』では新川郡の地名は大新川命に因むものとしている。
貞享2年(1685年)の由来書には「白山、神明、天神云々」とあり、「新川四社権現」とも称された。
歴史
[編集]『日本三代実録』貞観9年(867年)2月27日条に「正五位上、新川神に従四位下を授く」という記述が初見で、同18年7月11日には従四位上に昇叙されているが(同書)、『延喜式神名帳』の記載はない(国史見在社)。元の鎮座地は志麻郷八島野(現在の富山市五本榎)であり、中世以降は新庄城の鎮守とされた。元和元年(1615年)夏、常願寺川の洪水により社殿が浸水したので、高台の現在地に遷座した。江戸時代中期から明治維新までは立山権現(雄山神社)の前立社とみなされ、立山に参詣する者は必ず当社に参拝した。明治6年(1873年)に郷社に列格した。
なお、立山山麓の芦峅寺の姥堂が明治の廃仏棄釈により取り壊された時、「姥堂は式外社・新川神社である」として再興が願い出られたが、証拠不十分として認められなかった。現在、芦峅寺の後裔である雄山神社中宮の境内には、末社として新川姫神を祭神とする治国社(宝童社)がある。
主な祭礼
[編集]- 4月19日 - 春季祭礼「どべ祭り」(2006年(平成18年)「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定)
参考文献
[編集]- 『とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り』(富山県教育委員会 生涯学習・文化財室)2007年(平成19年)3月発行
- 『とやま祭ガイド』(北日本新聞社)2004年(平成16年)3月31日発行 ISBN 4-906678-87-4