大山北李

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大山 北李(おおやま ほくり、生年不明 - 文政9年(1826年))は、江戸時代後期の浮世絵師庄内藩士。出羽国鶴岡(現・山形県鶴岡市)出身。

人物[編集]

葛飾北斎門人。姓・大山、名・庄助または孝五郎。恒斎と号す。江戸神田松枝町に住み、家の庭に李の木があったため、北李の画名を使用した。美人画の作風は北斎の物に良く似ていた事から、北李は北斎の別号と疑われた事がある。

庄助の子・庄太夫は、1866年(慶応2年)、藩主廃立を企てたとして、斬罪に処されたという。庄太夫の墓所は鶴岡市の正覚寺。

略歴[編集]

  • 服部庄太夫の子として生れる。
  • 1807年(文化4年) - 家督を相続、120石を食む。
  • 1808年(文化5年) - 江戸定府となり表納戸を勤める。(禄高100石)
  • 1813年(文化10年) - 病気により同職辞任
  • 1819年(文政2年) - 奥詰就任
  • 1826年(文政9年) - 同職辞任。死去。

作品[編集]

  • 『太夫立姿図』
  • 『布袋のかくし妻図』絹本着色 1幅 
  • 『工匠乗鶴之図』紙本淡彩 1幅
  • 『太夫と禿図』 紙本着色 1幅 無款 手柄岡持の賛あり
  • 『軍鶏之図』
  • 『明妓立姿図』

家族親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『原色浮世絵大百科事典』第2巻は和助を次男とする。

参考文献[編集]

  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年 ※129頁
  • 黒羽根洋司(著) 『懐かしき人々 - 父の父たちの物語 - 』 1999年