忌部人上

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忌部 人上(いんべ の ひとかみ、生没年不詳)は、奈良時代官人宿禰官位従五位下神祇少副

経歴[編集]

桓武朝初頭の延暦2年(783年)2月に従五位下に昇叙され、3月には川辺浄長の後任の主油正に任官するが、翌延暦3年(784年)浄長に官職を譲って、人上は神祇大祐に遷っている。延暦5年(786年)神祇少副に昇任し、延暦7年(788年安芸介を兼ねた。

延暦10年(791年)8月3日に盗賊によって伊勢大神宮放火の被害に遭ったことから[1]、その謝罪のために参議紀古佐美や参議・大中臣諸魚らとともに神宮に派遣され、同月14日に幣帛奉納を行った[2]。あるいは先にその前日に到着しており、「焼亡根元幷神宝物等色目」を上奏した、ともされる[3]

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』延暦10年8月3日条
  2. ^ 『続日本紀』延暦10年8月14日条
  3. ^ 『太神宮諸雑事記』巻1

参考文献[編集]