彭東原

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彭東原
『最新支那要人伝』(1941年)
プロフィール
出生: 1882年光緒17年)[1]
死去: 1954年
出身地: 広東省高州府呉川県
職業: 政治家・軍人
各種表記
繁体字 彭東原
簡体字 彭东原
拼音 Péng Dōngyuán
ラテン字 P'eng Teng-yüan
和名表記: ほう とうげん
発音転記: ポン ドンユエン
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彭 東原(ほう とうげん)は中華民国の軍人・政治家。

事跡[編集]

の廩貢生。後に黄埔水師学堂で学ぶ。江陰砲台統領を経て、辛亥革命に際しては呉淞軍政府光復軍参謀長兼呉淞要塞司令をつとめた。

中華民国成立後、大総統黎元洪の下で大総統府顧問をつとめる。その後、孫文(孫中山)の護法運動に参加し、大元帥府参議(参謀)となった。以後、広東省塩務水陸緝私統領、広東沙田清理処長、膠済鉄路管理局委員、同局局長を歴任している。1935年民国24年)11月、北寧鉄路専員に任ぜられた。

汪兆銘(汪精衛)が南京国民政府を樹立する直前に、彭東原は広東治安維持会委員長に任ぜられる。汪兆銘政権成立後の1940年(民国29年)4月、彭は広東省政府委員に任ぜられ、あわせて広州特別市の初代市長となった。翌年1月、いずれの職も辞任した。

1954年、香港で死去した。

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  1. ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』による。『最新支那要人伝』は1880年生まれとしている。

参考文献[編集]

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 
  南京国民政府(汪兆銘政権
先代
(創設)
広州特別市長
1940年4月 - 1941年1月
次代
関仲義