広田伝蔵

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広田 伝蔵(ひろた でんぞう、1892年明治25年)4月15日[1] - 1957年昭和32年)4月10日[2])は、東京市区長教育者

経歴[編集]

青森県出身。1917年大正6年)、東京高等師範学校を卒業[1]沖縄県師範学校教諭を経てアメリカ合衆国に留学し、1923年(大正12年)にコロラド師範大学を卒業した[1][3]。帰国後、文部省普通教育局嘱託を経て、1925年(大正14年)に東京市に入り、視学、視学課長を務めた[1][3]

1938年(昭和13年)、杉並区長となり、翌年には四谷区長に、1943年(昭和18年)には本郷区長に転じた[1][3]

著書[編集]

  • 『米国現代の教育』明治図書、1925年8月。NDLJP:980374 
  • 『米国に於ける新小学校の施設と実際』桃李書院、1926年6月。NDLJP:938099 

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 日本官界名鑑 1942, pp. ヒ18-19.
  2. ^ 「広田伝蔵氏(元四谷、本郷区長)」『毎日新聞』、1957年4月11日、15面。
  3. ^ a b c 人事興信録 1943, p. ヒ69.

参考文献[編集]

  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』日本官界情報社、1942年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。