広沢実方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
広沢 実方
時代 平安時代後期 - 鎌倉時代初期
生誕 永治元年(1141年[1]
死没 不明
別名 波多野余三、広沢余三[1]
幕府 鎌倉幕府 御家人
主君 義朝頼朝
氏族 波多野氏広沢氏
父母 父:波多野義通[注釈 1]
兄弟 波多野義常大槻高義波多野忠綱実方波多野義元経因[2][3]
実高重則遠経[3]
テンプレートを表示

広沢 実方(ひろさわ さねかた)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の武士

生涯[編集]

相模国の有力な武士で、河内源氏類代の家人でもあった波多野氏の一族。久寿2年(1155年大蔵合戦源義朝の子・義平に従って戦功があり、翌年その恩賞として武蔵国新座郡広沢の地を賜ったという[注釈 2][1]治承・寿永の乱でも源頼朝に従い、元暦元年(1184年藤戸の戦いで戦功があった[1]文治5年(1189年奥州合戦に従軍[4]建久元年(1190年)頼朝の上洛に子の実高らとともに随行[5]。建久3年(1192年備後国三谿郡の12郷を賜る[1][6]。建久6年(1195年)再度の頼朝の上洛にも随行した[7]

系譜[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 父を義通の父である波多野遠義とする説もある[1]
  2. ^ 広沢氏の名字の地は他に相模国大住郡広沢、上野国山田郡広沢とする説がある[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 秦野市 1990, p. 付録 20.
  2. ^ 秦野市 1990, p. 380.
  3. ^ a b 『続群書類従』, p. 187.
  4. ^ 秦野市 1985, pp. 91–93.
  5. ^ 秦野市 1985, pp. 99–100.
  6. ^ 後藤 1982, § 伊与郷.
  7. ^ 秦野市 1985, pp. 111–113.

参考文献[編集]

  • 秦野市『秦野市史』 1巻、秦野市、1985年。 
  • 秦野市『秦野市史』 通史1、秦野市、1990年。 
  • 塙保己一 編『続群書類従』 6輯 下、八木書店、2013年。ISBN 978-4-8406-3153-2