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平ノ石辰治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平ノ石 辰治郎(ひらのいし たつじろう、1880年12月20日 - 1925年11月9日[1])は、現在の福島県いわき市出身で玉垣部屋尾車部屋峰崎部屋に所属した元大相撲力士。12代玉垣。本名は緑川 辰次郎。167cm、94kg。最高位は西前頭4枚目。

経歴

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磐城炭坑で石炭運搬に従事していたが、相撲の強さを見出した上司から勧められて入門。1900年1月、初土俵・序ノ口、1905年玉垣部屋消滅で尾車部屋に移籍し横綱大砲、大関荒岩の指導を受け、1908年5月十両昇進した。1911年2月新入幕、1917年1月引退した。小兵であったが、右四つからの下手投げを得意とし、とったりの奇襲も見せる手取り力士であった。1912年1月、5月と大関駒ヶ嶽國力には2勝している。現役中、師匠の死によって転籍していたが、二枚鑑札となり、いずれ玉垣部屋を再興するつもりでいたが1925年11月脳充血がもとで44歳で死去。裁判の傍聴が好きで、法に通じていた。また大の酒豪であったとされる。

成績

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  • 幕内9場所22勝24敗35休8分1預

改名

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平ノ石→玉垣 [2]

出典 

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  1. ^ https://web.archive.org/web/20010220062850/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19110204.htm
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709