山田無文
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山田 無文(やまだ むもん、1900年7月16日 - 1988年12月24日)は昭和期日本の代表的禅僧。チベット探検で有名な河口慧海を頼って出家するが、あまりの厳しい生活に結核になってしまったというエピソードもある。わかり易い法話で親しまれた。
河口慧海に出家を申し出ると、親宛に「修家は承知ですか」と手紙が送られる。 それを聞いた父は、「裁判官にでもしてやろうと学校に行かせたのに」と怒り、 母は「ぼんさん(お坊さん)出さなあかん程、うちは世間に悪いことしてない」と泣く、 父は親交のある人相見に無文を診せると「この子(無文)は孤独の性だな、坊主か何かになるしかない」と言われ、無文に「好きにせい」と言い放つ。
結核時、無文には兄がいて、兄は結核で命を失う。 無文は闘病中の夏の日。縁側でそよ風に吹かれると、ふと考えた。 風とは何ぞや。風とは空気。空気とは何ぞや。空気は自然。 その空気を朝から晩まで晩から朝まで、呼吸して生きている。 「そうだ私の後ろ盾には大自然が付いているんだ」と考えたら、寝てられなくなった。 そして、元気が出てきたときに、下手な句を読んだ。 「大いなる者に抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」 南天の実が赤かった夏の日のことでした。(NHK-TVあの人に会いたい より)
経歴 [編集]
- 愛知県北設楽郡武節村(現・豊田市)に生まれる。
- 1925(大正14年)、臨済宗大学(現・花園大学)卒業。
- 1929(昭和4)年、妙心寺専門道場。ついで天龍寺専門道場で関精拙に参ずる。
- 1949(昭和24)年、花園大学学長。
- 1953(昭和28)年、神戸・祥福寺専門道場師家。
- 1964(昭和39)年、禅文化研究所所長。
- 1978(昭和53)年、臨済宗妙心寺派管長、花園大学名誉学長。
- 1988(昭和63)年、没。
著書 [編集]
- 『亀山天皇御事蹟』元寇六百六十年記念亀山天皇報恩会 1941
- 『坐禅和讃講話』妙心寺派宗務本所花園会本部 1960
- 『祖師にかえれ』祥福寺 1960 真人文庫
- 『白隠禅師坐禅和讃講話』春秋社 1962
- 『むもん法話集』春秋社 1963
- 『心に花を』春秋社、1964 しんじん文庫
- 『碧巌物語』大法輪閣 1964
- 『死にともない』春秋社 1965 しんじん文庫
- 『手をあわせる』春秋社 1965 しんじん文庫
- 『肚づくり 自我を超える世界』実業之日本社 1965 実日新書
- 『生活の中の般若心経』春秋社 1966
- 『わたしは誰か』春秋社 1966 しんじん文庫
- 『釈尊にかえれ』春秋社 1967 しんじん文庫
- 『維摩経法話』春秋社 1968
- 『中道をゆく』春秋社 1969 しんじん文庫
- 『鶏は暁の五更に鳴く』春秋社 1970 しんじん文庫
- 『今日を生きる』1971 講談社現代新書
- 『心の眼を開く』筑摩書房 1971 現代を生きる心
- 『無文老師墨蹟集』禅文化研究所 1972
- 『わが精神のふるさと』雄渾社 1972 現代人生論法話
- 『不二の妙道』春秋社 1973 しんじん文庫
- 『平常心是れ道 あたりまえの心』立風書房 1975
- 『真理の言葉 法句経講話』春秋社 1976 しんじん文庫
- 『菩提心を発しましょう 平和のみち宗教』柏樹社 1976 柏樹新書
- 『むもん関講話』春秋社 1976
- 『白隠禅師毒語心経講話』禅文化研究所 1981
- 『自己を見つめる ほんとうの自分とは何か』禅文化研究所 1982
- 『十牛図 禅の悟りにいたる十のプロセス』禅文化研究所 1982
- 『無文老師の三分間法話』同朋舎出版 1982
- 『遺教経講話』春秋社 1982
- 『六祖壇経講話』春秋社 1983-84
- 『証道歌』禅文化研究所 1985
- 『般若心経』禅文化研究所 1986
- 『わが「心」のふるさと 自分とは何か、生きがいとは何か』雄渾社 1986
- 『無文老師墨蹟集成』禅文化研究所 1987
- 『わが精神の故郷 附心王銘提唱』禅文化研究所 2000
- 『無文全集』全16巻 禅文化研究所 2003-04
- 『山田無文老師説話集 愛語 よい言葉をかけて暮らそう』禅文化研究所 2005
- 『山田無文老師説話集 和顔 仏様のような顔で生きよう』禅文化研究所 2005