山村蘇門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山村 蘇門(やまむら そもん、寛保2年3月6日1742年4月10日〉 - 文政6年1月16日1823年2月26日〉)は、尾張藩の9世木曽代官。

漢詩人としても著名[1]

生涯[編集]

山村家は関ヶ原の戦いでの功により、当初は天領元和元年(1615年)以降は尾張藩領となった木曽で代官を務めた家柄であった[2]。蘇門の父・良啓は江戸の分家の生まれであったが、延享4年(1747年)に本家に養子に入った[3]。その子である蘇門は、山村家の侍医であった三村道益に学問の手ほどきを受け[4]宝暦11年(1761年)には江戸で大内熊耳に師事した[5]

天明元年(1781年)、蘇門は家督を嗣ぎ、9代目の代官となった[6]。凶作が続いたこの時期、蘇門は美濃松本から木曽へ米を入れるとともに、産業の振興を図り、財政を改善した[7]。天明7年(1787年)に木曽領内を視察した松平定信は、山国の木曽で蘇門による飢饉対策がよくなされていることに注目、蘇門は尾張藩の家老に迎えられることになった[8]

しかし寛政10年(1798年)に尾張藩家老を退いた[9]。以後は学者との交流や、詩作をして過ごした[10]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 高橋 1996, p. 70.
  2. ^ 井口 1999, pp. 1–3; 今田 1988; 高橋 1996, p. 70.
  3. ^ 井口 1999, p. 11.
  4. ^ 井口 1999, pp. 28–29.
  5. ^ 井口 1999, pp. 34–35; 今田 1988, p. 27; 高橋 1996, p. 68.
  6. ^ 井口 1999, p. 53; 高橋 1996, p. 68.
  7. ^ 井口 1999, pp. 54–55.
  8. ^ 井口 1999, pp. 57–58, 61–62; 高橋 1996, p. 67.
  9. ^ 井口 1999, p. 72; 高橋 1996, p. 66.
  10. ^ 井口 1999, pp. 72–89.

外部リンク[編集]