尾崎紀男

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尾崎 紀男(おざき としお 1906年4月10日 - 没年不詳)は、日本の航空機技術者自動車技術者、教育者。

経歴[編集]

1906年(明治39年)大阪府に生まれる。1933年(昭和8年)大阪帝国大学造船学科を卒業後、海軍嘱託技師となる[1]二式複座水上偵察機を設計したエルンスト・ハインケルに学んだ尾崎は九九式艦上爆撃機を設計(詳細は愛知航空機の項を参照)。 終戦までに艦上攻撃機である流星[2]、水上偵察機である瑞雲水上攻撃機である晴嵐などの設計にも携わった。

第二次世界大戦後、日本は航空機の製造、開発が禁じられたため、愛知航空機は民需転換を行い愛知機械工業に業種変更。尾崎は会社にとどまり自動車製造に関わった。愛知機械工業の取締役を務めた後、静岡コニーの代表に就任。後に大同工業大学教授を務めた。

脚注[編集]

  1. ^ 尾崎紀男『出身県別 現代人物事典 西日本版』p834 サン・データ・システム 1980年
  2. ^ 野沢正『日本航空機総集 愛知・空技廠篇』出版協同社、1959年、104頁。全国書誌番号:53009885