小倉季雄

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小倉季雄
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代
生誕 正応2年(1289年
死没 建武3年/延元元年9月9日1336年10月14日
官位 正二位権中納言
主君 伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇後醍醐天皇光厳天皇光明天皇
氏族 小倉家
父母 父:小倉実教
兄弟 季孝、季雄富小路公脩、公煕、教子、洞院公賢室、園基成室、女子、
忠房親王
実遠[1]、女子[2]
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小倉 季雄(おぐら すえお)は、鎌倉時代後期の公卿権大納言小倉実教の子。官位正二位権中納言

経歴[編集]

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

季雄と公脩の母について[編集]

『公卿補任』には母が季雄の娘とあるが、季雄と公脩は5歳違いのため、公脩の母が季雄の娘ということはあり得ない。母が季雄と同じであると記述すべきところ、誤記で季雄母となったと推測できる。

系譜[編集]

歌人として[編集]

『増鏡』[4]によれば、十五夜の歌合に父実教、弟公脩と共に召されて詠出している。

脚注[編集]

  1. ^ 権中納言
  2. ^ 富小路公脩の妻か。小倉家を継いでいったのが公脩の子孫であったことを考えると季雄の娘を娶った可能性がある。
  3. ^ 玄輝門院御給。
  4. ^ 『増鏡』、第13「秋のみ山」。

参考文献[編集]