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対馬塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
対馬塚古墳
前方部前面・石祠
所属 壱岐古墳群
所在地 長崎県壱岐市勝本町立石東触
位置 北緯33度47分43.02秒 東経129度41分31.62秒 / 北緯33.7952833度 東経129.6921167度 / 33.7952833; 129.6921167座標: 北緯33度47分43.02秒 東経129度41分31.62秒 / 北緯33.7952833度 東経129.6921167度 / 33.7952833; 129.6921167
形状 前方後円墳
規模 墳丘長65m
高さ8m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
出土品 金製品・金銅製大刀柄頭・馬具類・トンボ玉・陶器・新羅土器
築造時期 6世紀後半
史跡 国の史跡「壱岐古墳群」に包含
地図
対馬塚古墳の位置(長崎県内)
対馬塚古墳
対馬塚古墳
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対馬塚古墳(つしまづかこふん)は、長崎県壱岐市勝本町立石東触にある古墳。形状は前方後円墳壱岐古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。

壱岐島では双六古墳に次ぐ第2位の規模の前方後円墳で[1]、6世紀後半頃の築造と推定される[2][3]

概要[編集]

壱岐島中央部、標高100メートルの丘陵上に築造された古墳である。「対馬塚」の名は対馬島を見渡せることが由来と見られる[3]。昭和初期に松本友雄による調査が、1981年(昭和56年)に松永泰彦による調査が、1991年(平成3年)に長崎県教育委員会による墳丘・石室の実測調査がなされたほか[2]1997年-2000年(平成9年-12年)にも調査がなされている[3]

墳丘[編集]

墳丘は前方後円形で、規模は次の通り[2]

  • 墳丘長:約65メートル
  • 後円部:直径約36メートル、高さ約8メートル
  • 前方部:幅約25メートル

双六古墳同様、墳丘の前方部は後円部に比して長く、後円部はお椀を伏せたような急斜面をなす特徴を有している[2]。戦時中に高射砲を据えるため後円部墳頂が削平され、途中に段も付されており、現在では2段築成かのような外見となっている[2]。他の外部施設として、葺石や周濠は認められていない[2]。現在は前方部の裾部に祠が祀られている[2]

埋葬施設[編集]

埋葬施設は複室構造の両袖式横穴式石室で、玄室・前室の2室と羨道で構成される[2]。史料によると、江戸時代にはすでに石室は開口し人が出入りしていたという[2]。石室の規模は次の通り[2]

  • 石室全長:9.4メートル[2](11メートル[3]
  • 玄室:長さ約3.6メートル、幅約2.4メートル、高さ約3.8メートル
  • 前室:長さ約3.9メートル、幅約1.5メートル

出土品[編集]

出土品としては、金製品・金銅製大刀柄頭・馬具類・トンボ玉・陶器・新羅土器が見つかっている[3]

関連施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 対馬塚古墳(壱岐市観光連盟「壱岐観光ナビ」)。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 対馬塚古墳(続古墳) 2002.
  3. ^ a b c d e 対馬塚古墳(長崎県教育庁学芸文化課「長崎県の遺跡大辞典」)。

参考文献[編集]

(記事執筆に使用した文献)

  • 地方自治体発行
    • 『壱岐市の文化財』壱岐市教育委員会、2017年。 
  • 事典類
    • 田川肇「対馬塚古墳」『続 日本古墳大辞典東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991 

関連文献[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

外部リンク[編集]