安辺浩

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安辺 浩(あべ ひろし、1890年1月3日 - 1975年5月1日)は、日本陸軍軍人飛行士実業家満州航空総裁。最終階級は陸軍大尉

生涯[編集]

熊本陸軍地方幼年学校陸軍士官学校(23期)を卒業し、陸軍少尉として第一次世界大戦では、青島遠征軍に参加する。中尉に昇官し、1915年5月第4期の操縦将校に抜擢されて臨時軍用気球研究会で1年間の操縦訓練を受けた。1918年に欧州出張を命じられ、フランス、ドイツで操縦術を学び、1919年8月に帰国し、1920年に陸軍航空学校の教官に任じられた。1920年には、所沢-ソウル間の長距離飛行を行った。同年陸軍省航空局の御用掛に任じられ、1922年に同局事務官から航空官となった。

朝日新聞の「初風」、「東風」による訪欧飛行をサポートした児玉常雄航空局技術課長(児玉源太郎陸軍大将の息子で後の大日本航空総裁)から「初風」の操縦士に選抜され、ブレゲー 19で1925年7月25日代々木練兵場を出発し、シベリア各地を経由し、8月23日にモスクワに到着し大歓迎を受けた。その後ベルリン、パリ、ロンドン、ローマを訪問飛行した。総飛行距離1万7400kmあまりの飛行であった。欧州訪問飛行のメンバーは「初風」は安辺浩操縦士 篠原春一郎機関士、「東風」が河内一彦操縦士、片桐庄平機関士であった。

1931年児玉に伴われて満州に赴き、1932年満州航空が設立されると、児玉は副社長となり、安辺は取締役となった。1939年8月に民間航空各社を合同して大日本航空輸送が設立され、児玉が大日本航空の総裁になると、安辺は満州航空総裁の地位を継いだ。

参考文献[編集]

  • 今井田淸德、戸川政治、山本直太郎、山田守、安邊浩、進藤誠一、平塚麥郎、關正雄 ほか「淸興録」『逓信協会雑誌』第214号、逓信協会、1926年6月、79~84、ISSN 1880-6686 
  • 安邊浩「持ち廻り座談會--航空機」『文芸春秋』第7巻第9号、文芸春秋、1929年9月、132-135頁。 
  • ______「空」『実業の日本』第33巻第14号、実業之日本社、1930年7月、12-13頁、ISSN 0446-8147 
  • ______「特別讀物――ソ連を飛ぶ」『丸』第3巻第1号、潮書房光人新社、1950年1月、94-108頁。 
  • ______「42年振りソ連訪問の空の旅」『航空技術』第148号、日本航空技術協会、1967年7月、17-19頁、ISSN 0023-284X 
  • 平木國夫「安邉浩の飛行機人生--日本のエアライン育ての親 [1-15]」『航空情報 [Aireview]』659-666, 668-674、せきれい社、1999-01 - 2000-03、ISSN 0450-6669 
  • ______「民間航空輸送の育ての親・安邊浩の飛行機人生(後編)」『エアワールド』27 (9) - 28 (6)、エアワールド、2003-09 - 2004-01、ISSN 0288-5603 NAID 40005887520NCID AA11416094
  • 前間孝則「朝日新聞訪欧大飛行(上・下)」、講談社、2004年8月。 

外部リンク[編集]

先代
兒玉常雄
中華航空総裁
1943年 - 1945年
次代
解散