堀直明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奥田直明から転送)
 
堀直明
堀直明
時代 江戸時代末期(幕末) - 明治時代
生誕 天保10年9月3日1839年10月9日
死没 明治18年(1885年9月18日
改名 恭若、恭之進(幼名)→堀直登→堀直明→奥田直明
別名 直弘
墓所 東京都台東区谷中墓地
官位 従五位下、長門
信濃国須坂藩
氏族 堀氏→奥田家
父母 父:堀直格、養父:堀直虎
兄弟 直武水野直章直正直虎直明直徴
喬子山名義問の娘)
奥田直恭
テンプレートを表示

堀 直明(ほり なおあきら)は、江戸時代末期の大名信濃須坂藩の第14代(最後)の藩主。信濃須坂堀家14代。

生涯[編集]

天保10年(1839年)9月3日、第11代藩主・堀直格の六男として江戸で生まれる。母は側室で、先々代直武や先代直虎は異母兄にあたる。慶応4年(1868年)1月に直虎が江戸城内で自害し、同年5月24日に養子として跡を継いだ。直明は直虎とは180度方針を転換して、戊辰戦争では早々に新政府側に与して宇都宮北越会津に出兵し、信濃の諸藩では突出した数の藩士を送り込んだ。この功績を評価され、新政府から賞典禄として5000石を下賜された。明治2年(1869年)6月の版籍奉還知藩事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官となる。

明治10年(1877年)2月13日、元来の姓であった奥田姓に復姓する(須坂藩の祖である堀直政は、もと奥田氏であった)。明治17年(1884年)7月8日に子爵となる。明治18年(1885年)9月18日[1]に東京で死去した。享年48。

家族[編集]

父母

  • 堀直格(実父)
  • 松齢院、千歳、内田氏 ー 側室(実母)
  • 堀直虎(養父)

子女

脚注[編集]

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、365-366頁。

参考文献[編集]

日本の爵位
先代
叙爵
子爵
須坂奥田家初代
1884年 - 1885年
次代
奥田直恭