奈良市立都跡小学校

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奈良市立都跡小学校
地図北緯34度40分50秒 東経135度47分16秒 / 北緯34.680639度 東経135.787889度 / 34.680639; 135.787889座標: 北緯34度40分50秒 東経135度47分16秒 / 北緯34.680639度 東経135.787889度 / 34.680639; 135.787889
国公私立の別 公立学校
設置者 奈良市
設立年月日 1910年(明治43年)11月1日
創立記念日 11月1日
創立者 奈良市
共学・別学 男女共学
学校コード B129210000070 ウィキデータを編集
所在地 631-0805
奈良県奈良市四条大路五丁目6−1
外部リンク 都跡小学校公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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奈良市立都跡小学校(ならしりつみあとしょうがっこう)は、奈良県奈良市四条大路五丁目にある公立小学校。奈良市の平野部に位置し校区は南北に広い。学校のすぐに西側に秋篠川が流れ、校区の北部には佐紀盾列古墳群の一部と平城宮跡が広がり、学校から少し南には唐招提寺薬師寺がある。殆どの校区は平城京だった部分に含まれており、校門前の奈良県道は西一坊大路だったとされる。又、学校の北側には三条通り大宮通りの2本の幹線道路が校区を東西に横切っている。ユネスコスクールとして認定されている。

教育目標[編集]

  • 学校教育目標は、「人権尊重の精神に徹し、豊かな心、確かな学力、たくましい体をもって未来をきりひらく子どもを育てる」である[1]

沿革[編集]

  • 1910年明治43年)11月1日 - 近隣の佐紀尋常小学校・西京尋常小学校・甘壌尋常高等小学校の3つの小学校が合併して生駒郡都跡村立都跡尋常高等小学校が創立。まだ校舎や勉強の施設が十分ではなかったため、本校を中心として、2つの分校も使用された。当時の児童数は、本校が247人、分校が271人であった[1]
  • 1916年(大正5年)4月1日 - 現在地にひとつの学校としてまとまる[1]
  • 1940年(昭和15年)11月3日 - 都跡村が奈良市に合併し、奈良市都跡小学校となる[1]
  • 1971年(昭和46年)- 本校区から六条小学校が独立する。
  • 2010年平成22年)10月29日 - 創立100周年を迎え、記念式典が開催される[2]
  • 2020 (令和2年) 9月ごろGIGAschool構想に基づき1人1台パソコンを貸し出しされる
  • 2020 (令和2年)  10月29日創立110周年を迎える   

2023 令和5年  5月10日  早朝  4階の教室から出火。警備会社から消防に「火災警報器が                  なっていると」通報 。火は消し止められたが4階の教室の学年は、別の教室で授業を受けることになった。                       幸い当時、校内は無人だったためけが人などは出なかった 。                      

校区[編集]

都跡小学校の校区は以下の通り[3]

  • 尼辻町(国道24号以西)、尼辻北町、尼辻中町、尼辻西町、尼辻南町、柏木町(国道24号以西)、五条町(近鉄橿原線以東)、佐紀町の一部(佐紀西町、佐紀中町、佐紀東町、佐紀新町)、三条大路二丁目、三条大路三丁目、三条大路四丁目、三条大路五丁目、四条大路二丁目、四条大路三丁目、四条大路四丁目、四条大路五丁目、七条町、七条東町、西ノ京町、二条大路南二丁目、二条大路南三丁目、二条大路南四丁目、二条大路南五丁目、二条町一丁目、二条町二丁目、二条町三丁目、八条町(国道24号以西)八条四丁目(国道24号以西)、山陵町の一部(字山上)、南新町、六条町(近鉄橿原線以東)

北部エリア(佐紀町、二条町一丁目、二条町二丁目、山陵町字山上)から通学する児童向けに、奈良交通が(通学時間に合わせて)路線バスを運行している。

進学先中学校[編集]

公立学校の場合は、殆どが奈良市立都跡中学校へ進学する。小中一貫教育がおこなわれている[1]
※山陵町字山上は、奈良市立平城中学校へ進学する。 

校区内の主な施設[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]