塩川正三
塩川 正三(しおかわ しょうぞう、1893年〈明治26年〉8月22日[1] - 1958年〈昭和33年〉3月6日[2])は、日本の政治家。大阪府布施市(現・東大阪市)長(初代、5代、6代、3期)。財務大臣、衆議院議員を務めた塩川正十郎の父。
来歴[編集]
大阪府渋川郡布施村(のち中河内郡布施町→布施市、現・東大阪市)出身[1]。大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)卒[1]。1915年、共栄組社長となり[1]、1929年、布施町会議員となる[3]。1931年、布施町助役、翌1932年、布施町長となる[1]。布施町は1937年に市制施行し、布施市となり、布施市長となる[1]。布施市長は翌年まで務めた。戦後の1946年、布施市長に復帰し[1]、翌1947年、市長公選により、公選初代市長となる[1]。1951年に落選[4]。この間、大阪興機、近畿鉱業、近畿商工各社長、大阪市長会、近畿市長会各会長、全国市長会副会長などを務めた[1]。同年、塩川建材社長に就任[1]。このほか布施厚生保護理事長、PL教団顧問、大阪共同募集会副会長などを歴任した[1]。
1955年の第27回衆議院議員総選挙において大阪4区から自由党公認で立候補したが落選した[5]。1958年死去。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『大衆人事録』第19版、西日本篇、帝国秘密探偵社、1957年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
- 『東大阪市史 近代2』東大阪市、1997年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。