古川済堯

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姉小路済堯
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天正2年(1574年)以前
別名 済光
官位 従五位下侍従
氏族 姉小路家飛騨古川氏
父母 義父:古川済俊
時基[1]
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古川 済堯(ふるかわ なるたか/なりたか)は、戦国時代公家大名従五位下侍従姉小路家当主。

概要[編集]

かつて飛騨国姉小路家は、三木氏に簒奪されて滅亡したとされてきた。しかし、近年発見された永禄6年(1563年)の『補略』によると、天文23年(1554年)9月には、古川家の済堯が従五位下侍従に叙任されていることが確認されている[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 赤坂恒明「永禄六年の『補略』について : 戦国期の所謂「公家大名(在国公家領主)」に関する記載を中心に」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第11巻、埼玉学園大学、2011年12月、326(43)-311(58)、CRID 1050282812975072256ISSN 13470515 
  2. ^ 赤坂恒明「永禄六年の『補略』について : 戦国期の所謂「公家大名(在国公家領主)」に関する記載を中心に」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第11巻、埼玉学園大学、2011年12月、326(43)-311(58)、CRID 1050282812975072256ISSN 13470515