卿秦

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卿 秦(けい しん、生没年不詳)は、中国戦国時代末期に燕王喜の元で将軍を務めた人物。

経歴[編集]

紀元前251年、燕王喜の指示でとの友好を深める為に孝成王の誕生日を祝う使者として栗腹が贈り物を携え趙に派遣されるも栗腹は帰国後、長平の戦いやその後の邯鄲包囲など、の度重なる攻勢で疲弊した趙の国情を燕王喜に報告。

それを受け燕王喜は方針を転換して栗腹を総大将とした軍勢[1]を派遣し、卿秦も一軍の将として出兵したが、栗腹は廉頗率いる8万の趙軍にの辺りで敗北して趙軍に殺害された。卿秦もこの戦いで敗れ捕虜となった( 鄗・代の戦い中国語版)。

脚注[編集]

  1. ^ 総勢60万の兵と2千輌の戦車を派遣したとされる

参考文献[編集]

  • 司馬遷史記』巻34「燕召公世家」・巻43「趙世家」・巻81「廉頗藺相如列伝」
  • 戦国策』巻31「燕策三」