北部九州天文の乱

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北部九州天文の乱
戦争:北部九州天文の乱
年月日天文元年(1532年) - 天文3年(1534年
場所:北部九州(筑前筑後豊前豊後肥前肥後
結果足利義晴の仲介により和睦
交戦勢力
大内軍 大友軍
指導者・指揮官
大内義隆
陶興房
陶隆康
  河津隆業
  黒川隆尚
  佐田朝景ほか
大友義鑑
  吉弘氏直
  寒田親将
  戸次鑑連
  宗像氏延
  立花親貞ほか
北部九州天文の乱

北部九州天文の乱(ほくぶきゅうしゅうてんぶんのらん)とは、天文元年から3年までの3年間に渡って、主に筑前及び豊前で行われた大内氏大友氏の抗争。

定着した名称は無く、天文防豊戦争天文年間前半における大内氏と大友氏の抗争[1]天文初年の北部九州における紛争などと説明される。

背景[編集]

両軍の勢力[編集]

経過[編集]

影響[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 吉良 2012, p. 4・25.

参考文献[編集]

  • 吉良国光「天文年間前半における大内氏と大友氏の抗争について」『九州史学』第162号、2012年。