内田貞夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うちだ さだお

内田 貞夫
生誕 (1933-04-13) 1933年4月13日
日本の旗 静岡県小笠郡菊川町
死没 (2021-01-11) 2021年1月11日(87歳没)
出身校 静岡薬科大学薬学部卒業
職業 和光堂社長
2002年6月 - 2005年6月)
テンプレートを表示

内田 貞夫(うちだ さだお。1933年4月13日 - 2021年1月11日)は、日本実業家

三共株式会社代表取締役副社長和光堂株式会社代表取締役社長、和光堂株式会社代表取締役会長を歴任した。

概要[編集]

静岡県小笠郡菊川町(現在の菊川市)出身である。静岡薬科大学薬学部に進学し、薬学士称号を取得し、1957年に卒業した。卒業後、当時の三共株式会社(現在の第一三共株式会社)に入社した。

薬学部出身ながら三共では営業を中心にキャリアを積み、名古屋支店や東京第一支店にて支店長を務めた。学術部の部長に就任した際に取締役となり、のちに営業本部の本部長を兼任した。

常務専務を歴任したのちに、代表権のある副社長に就任した。その後、子会社である和光堂株式会社に移り、代表取締役として社長に就いた。その後、同じく三共出身の山田誠に社長を譲り、自身は代表権を持ったまま会長に就いた。

経営[編集]

和光堂社長に就任した際に、経営で重視するポイントとしてソリューション、ナレッジメント、スピードの三つを掲げた[1]。また、母体である三共とのコラボレーションにも力を注いだ。一例として、高齢者向け歯ブラシの販売に際して、高齢者に強い病院のリストを三共から入手し、そのリストを試供品を配布し営業攻勢を仕掛けた[1]

人物[編集]

趣味は「毎日歩くこと」としており、歩くときの速度と強靭さは和光堂社内でよく知られていた[1]

略歴[編集]

  • 1933年 - 誕生。
  • 1957年 - 静岡薬科大学薬学部卒業
  • 1957年 - 三共入社。
  • 1998年 - 三共常務。
  • 2000年 - 三共専務。
  • 2001年 - 三共副社長。
  • 2002年 - 和光堂社長。
  • 2005年6月 - 和光堂会長。
  • 2021年1月11日 - 死去[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 山本「新トップ登場・わが社の戦略――和光堂・内田貞夫社長 」『UCHIDA WEB COLUMN BOX お役立ちコラム ink Spot内田洋行2003年2月24日
  2. ^ “内田貞夫氏が死去 元三共(現第一三共)副社長”. 日本経済新聞社. (2021年1月19日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG198RV0Z10C21A1000000/ 2021年1月19日閲覧。 
ビジネス
先代
三木知憲
和光堂社長
2002年 - 2005年
次代
山田誠