日本国憲法第51条
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日本国憲法 第51条は、第4章 国会にあり、議員の発言・表決の無責任の免責特権について規定している。
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[編集] 条文
両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。[1]
[編集] 解説
国会議員の行った国会における発言について、国に対して損害賠償を求める余地まで否定したものではない、という最高裁判例がある。そのため、国会議員の発言による名誉毀損等の被害者は、国会議員個人に対する損害賠償はできないが、公務員の行為による損害であるとして、国に対する国家賠償請求が可能である。
国会議員が贈賄相手に便宜を図る方法として、国会議員の国会での質問行為によって、内閣から贈賄相手に有利な答弁を引き出す事例があるが、収賄罪の刑事裁判では、被告人となった国会議員が憲法第51条を持ち出して質問行為を理由として院外の裁判で刑事責任を問うことは憲法違反であると主張し、国会議員の国会での質問行為を収賄罪の構成要件からの除外を主張することがある。
責任とは、刑事責任、民事責任のほか弁護士の懲戒責任等も含まれる。しかし、「院外で」とあることから、所属する議院での懲罰(除名処分等)の対象とすることはできる。
[編集] 沿革
参考文献情報
- 1889年(明治22年)2月11日公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された憲法。1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行されたことにより失効。
- 憲法改正要綱[1]
- 1946年(昭和21年)2月8日、松本烝治国務大臣・憲法問題調査委員会委員長が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に対して、憲法改正案として提出・説明した文書。松本国務大臣が、そのときまでの委員会審議等を踏まえて作成した「憲法改正私案(一月四日稿) 」を要綱化した文書で、「松本試案」とも呼ばれる。閣議で議論にかけられ、天皇に奏上したものの、閣議等での正式な決定を経た文書ではない。
- マッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)[2]
- 1946年(昭和21年)2月3日、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が、GHQ内部の憲法改正草案作成にあたって必ず盛り込むよう指示した三項目の要件。草案作成の担当を命じられたコートニー・ホイットニー民政局長に対して示された。第一に天皇の地位、第二に戦争の放棄、第三に貴族制度(華族制度)に関して簡潔に述べている。
- 1946年(昭和21年)2月13日、GHQから日本政府に対して、憲法改正草案として提示された文書。GHQ民政局が作成した原案に対して、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が指示した修正を行ったものである。先に提出した「憲法改正要綱」に対する回答を聴取するため来訪した吉田茂外務大臣と松本烝治国務大臣に、コートニー・ホイットニー民政局長が手交した。日本政府は、同月22日の閣議においてGHQ草案の事実上の受け入れを決定し、同月26日の閣議においてGHQ草案に沿った新しい憲法草案を起草することを決定した。なお、GHQ草案全文の仮訳が閣僚に配布されたのは、同月25日の臨時閣議の席であった。
- 憲法改正草案要綱[4]
- 1946年(昭和21年)3月6日、内閣から国民に対して、憲法改正草案として発表された文書。内閣でGHQ草案の受け入れを決定した後、松本烝治国務大臣は、佐藤達夫内閣法制局第一部長、入江俊郎内閣法制局次長とともに、憲法改正案(「3月2日案」)を起草した。「3月2日案」をもとに、GHQとの折衝を経て成立した原案が、憲法改正草案として閣議決定され(「3月5日案」)、これを入江俊郎内閣法制局次長が中心となって、要綱の形にまとめたのが「憲法改正草案要綱」である。
- 憲法改正草案[5]
- 1946年(昭和21年)4月17日、内閣から国民に対して発表された文書。GHQの了承、閣議の了解を得た上で、元の「憲法改正草案」をひらがな口語体の文章にしたものである。同日、昭和天皇は、同案を内閣からの憲法改正案として枢密院に諮詢した。その後、幣原内閣から第1次吉田内閣へ交替したため一旦枢密院への諮詢が撤回され、字句を修正した上で、同年5月27日に再諮詢された[6]。同年6月8日、「憲法改正草案」は、枢密院本会議において美濃部達吉顧問官を除く賛成多数で可決された。
- 帝国憲法改正案[7]
- 1946年(昭和21年)6月20日、第90回帝国議会の開院式当日(召集日は同年5月16日)に、大日本帝国憲法第73条の憲法改正手続により、勅書をもって議会に提出された憲法改正案。同年6月25日に衆議院本会議に上程され、6月28日に芦田均を委員長とする帝国憲法改正案委員会に付託。委員会審議を経て、同年8月24日、衆議院本会議において賛成421票、反対8票という圧倒的多数で可決され、同日貴族院に送られた。同年8月26日に貴族院本会議に上程され、8月30日に安倍能成を委員長とする帝国憲法改正案特別委員会に付託。委員会審議を経て、同年10月6日、貴族院本会議において賛成多数で可決された。同日、貴族院での修正が加えられた改正案は衆議院に回付され、翌7日、衆議院本会議において圧倒的多数で可決。その後「帝国憲法改正案」は、同年10月12日に枢密院に再諮詢され、2回の審査の後、同年10月29日に2名の欠席者を除き全会一致で可決。「帝国憲法改正案」は、昭和天皇の裁可を経て、同年11月3日に「日本国憲法」として公布された。
- 1946年(昭和21年)11月3日公布、1947年(昭和22年)5月3日に施行された憲法。
- 大日本帝国憲法
- 第五十二條 兩議院ノ議員ハ議院ニ於テ發言シタル意見及表決ニ付院外ニ於テ責ヲ負フコトナシ但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演説刊行筆記又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ公布シタルトキハ一般ノ法律ニ依リ處分セラルヘシ
- GHQ草案[2]
- (日本語)
- 第四十四条 国会議員ハ法律ノ規定スル場合ヲ除クノ外如何ナル場合ニ於テモ国会ノ議事ニ出席中又ハ之ニ出席スル為ノ往復ノ途中ニ於テ逮捕セラルルコト無カルヘク又国会ニ於ケル演説、討論又ハ投票ニ因リ国会以外ニ於テ法律上ノ責ヲ問ハルルコト無カルヘシ
- (英語)
- Article XLIV. Members of the Diet shall in all cases, except those specified by law, be free from arrest while attending the sessions of the Diet or while travelling to and from such sessions; and for any speech, debate, or vote in the Diet, they shall not be held legally liable elsewhere.
- 憲法改正草案要綱[3]
- 第四十六 両議院ノ議員ハ議院ニ於テ為シタル演説、討論又ハ表決ニ付院外ニ於テ責ヲ負フコトナキコト
- 憲法改正草案[4]
- 第四十七条 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。
- 日本国憲法
- 第五十一条 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。
[編集] 関連条文
- 大日本帝国憲法第52条
[編集] 判例
- 公務執行妨害、監禁、職務強要被告事件(最高裁判例 昭和42年05月24日)
- 地方議会議員の発言についても、いわゆる免責特権を憲法上保障しているものと解すべき根拠はない。
- 公務執行妨害被告事件 (東京高裁判例 昭和44年12月17日)
- 損害賠償(最高裁判例 平成9年09月09日)
- 国会議員が国会の質疑等の中でした発言と国家賠償責任
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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