佐藤丑次郎

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佐藤 丑次郎(さとう うしじろう、1877年明治10年〉5月28日 - 1940年昭和15年〉3月16日[1]は、日本法学者政治学者。専門は憲法学政治学山形県出身[1]佐藤功の父、さとうまきこの祖父。

1899年(明治32年)に第二高等学校 (旧制)を、1902年(明治35年)に京都帝国大学法科大学政治学科を卒業。その後、京都帝大の副手助手を経て、1906年(明治39年)に助教授(政治学・政治史担当)。1908年(明治41年)にドイツフランスイギリスに留学。1911(明治43年)、京都帝国大学法科大学教授。1914年(大正3年)、澤柳事件で京都帝国大学法科大学を辞職し、中京法律学校(現:中京法律専門学校講師に転じる。1920年(大正9年)、東北帝国大学法文学部設立委員長に就き、東北帝国大学附属工学専門部教授を併任。1922年(大正11年)、東北帝国大学法文学部教授および初代法文学部長(憲法担当)。1930年(昭和5年)、仙台法経専門学校初代校長。1939年(昭和14年)に東北帝国大学を停年退官[2][3]

著書[編集]

『帝國憲法講義』

大日本帝国憲法についての東北帝国大学での講義をまとめた『帝國憲法講義』は高等文官試験の受験生に広く使われた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤丑次郎」の解説 コトバンク(2024年2月12日閲覧)
  2. ^ 以上につき>tenji>new-open>new-open0022 初代法文学部長の留学 - 東北大学史料館
  3. ^ 『佐藤丑次郎教授退職記念 法及政治の諸問題』有斐閣、1939年