佐波亘

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日本基督教団合同前の日本基督教会代表の準備委員 後列左より,熊野義孝三吉務富田満小野村林蔵佐波亘浅野順一飯島誠太堀内友四郎、 前列左より,今村好太郎村田四郎金井為一郎,村岸清彦

佐波 亘(さば わたる、1881年4月24日 - 1958年4月8日)は日本の牧師植村正久の弟子。妻は植村の長女澄江、子に佐波正一中村妙子など。

生涯[編集]

神奈川県横須賀市に生まれる。祖父の佐波銀次郎は佐倉藩に仕えた蘭学者で、横須賀にはエンジニアであった父親が赴任していた。父・佐波一郎は横須賀造船所黌舎で学んだのち、フランス留学を経て海軍技師となっていた。幼少期に漢字を習い、日曜学校に通った。第七高等学校造士館 (旧制)を経て東京帝国大学に入学、入学した春に上野美術館林竹治郎の「朝の祈り」に感銘を受けて入信する。在学中に日本基督教会富士見町教会で植村正久より洗礼を受ける。大学を中退して伝道者育成機関の東京神学社に入学する。

1913年、大森伝道所(現・日本キリスト教会大森教会)に着任する。1914年植村正久の長女澄江と結婚する。教報の刊行物である「福音新報」を発行している。1941年日本基督教団の創立の際に加入する。1951年、植村環小野村林蔵今村好太郎藤田治芽らと一緒に日本基督教団を離脱し、日本キリスト教会を創立する。1958年に亡くなるまで、大森教会を牧会した。

著書[編集]

参考文献[編集]

  • 「クリスチャン情報ブック2006」いのちのことば社、2005年
  • 『日本キリスト教会50年史(1951-2000)』一麦社、2011年