但田裕介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
但田 裕介
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都小平市小金井
生年月日 (1951-04-27) 1951年4月27日(72歳)
身長
体重
176 cm
67 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1969年 ドラフト3位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

但田 裕介(たじた ゆうすけ、1951年4月27日 - )は、東京都小平市小金井出身の元プロ野球選手。ポジションは投手

来歴・人物[編集]

堀越高等学校では、エース、五番打者として活躍。2年生の時、1968年秋季東京大会決勝に進出。この試合では日体荏原高に敗退するが、翌1969年春の選抜にチーム初出場を決める。大会では準々決勝で山本功児淡口憲治のいた三田学園を降し、準決勝では博多工岩崎清隆と投げ合い完封勝利。しかし決勝では三重高上西博昭に抑えられ大敗、準優勝にとどまった[1]。同年春季関東大会でも決勝でエース柴崎孝夫(日本石油)を擁する取手一高に延長11回サヨナラ勝ち、優勝を飾る。夏の甲子園都予選は準決勝で日大一高保坂英二、小山良春(日大三協精機)と投げ合うが9回逆転負け。

1969年のドラフトに阪神から3位指名され入団。しかし一軍公式戦の出場はなく、1972年限りで引退。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 35 (1970年)
  • 50 (1971年 - 1972年)

脚注[編集]

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目[編集]