井伊直恒

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井伊直恒
時代 江戸時代中期
生誕 元禄6年3月16日1693年4月21日
死没 宝永7年10月5日1710年11月25日
改名 松之介、安之介(幼名)
戒名 円城院徳厳道隣
墓所 東京都世田谷区豪徳寺
官位 従四位下侍従掃部頭
主君 徳川家宣
近江彦根藩
氏族 井伊氏
父母 父:井伊直興、母:大橋氏
養父:井伊直通
兄弟 直通、直恒直矩直惟直定
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井伊 直恒(いい なおつね)は、近江彦根藩の第7代藩主

家系[編集]

第5代藩主井伊直興の十男。母は大橋氏。第6代藩主井伊直通の異母弟。井伊直矩直惟直定の兄。

生涯[編集]

元禄6年(1693年)3月16日、江戸にて生まれる。宝永7年(1710年)3月に兄の直通が直恒を跡継ぎとするよう定めて同年7月26日に死去したため、同年8月12日に養子となり家督を継いだ。ところが間もなく直恒も病気に倒れ、同年10月5日に江戸藩邸にて18歳で死去した。藩主として50日弱の在職であり、一度も彦根城を見ることがなかった。

慌てた井伊家と幕府は、療養のため隠居していた父の直興(覚翁)を還俗させ、直該と改名させて幕政・藩政に再度当たらせることとした。

経歴[編集]

※日付=旧暦

  • 1693年(元禄6年)3月16日、生まれる。
  • 1710年(宝永7年)
    • 8月12日、家督相続し、藩主となる。
    • 10月5日、卒去(享年18)。

系譜[編集]