三野昌治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三野 昌治(みの しょうじ 1893年 - 1978年7月20日)は、日本の法学者弁護士教育者

経歴[編集]

1893年(明治26年)、東京に生まれる。京都帝国大学法学部卒業。東京地方裁判所東京高等裁判所判事を務めた後に弁護士として活動。東洋大学で博士号を取得後、同大学で教授となる。1967年に東洋大学学長に就任。学生運動の最中ということもあり、学生の強い反発を受ける中で教養課程の川越キャンパスへの移転、図書館、学生会館建設の問題収拾にあたった。1969年に学長を辞任した[1]

1978年7月20日、老衰のため東京都大田区の自宅にて死去。84歳[2]

著作[編集]

  • 『民法総論』(文久書林 1967年)
  • 『法の適用』(東洋大学法学会 1957年)
  • 『物権法要義』(巌松堂 1943年)

脚注[編集]

  1. ^ 東洋大学 歴代学長”. 東洋大学. 2021年6月6日閲覧。
  2. ^ 訃報欄 三野 昌治氏(みの・しょうじ=元東洋大学学長)『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月18日朝刊、13版、7面