三日月陣屋

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三日月陣屋
兵庫県
三日月陣屋の長屋門(復元)
三日月陣屋の長屋門(復元)
別名 乃井野陣屋
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 森長俊
築城年 1697年
主な城主 森氏
廃城年 1871年
遺構 郭跡、石垣、水堀
移築物見櫓、復元長屋・門
指定文化財 なし
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三日月陣屋(みかづきじんや)は、播磨国佐用郡三日月[1](現・兵庫県佐用郡佐用町)にあった日本陣屋。別名を乃井野陣屋(のいのじんや)という。三日月藩森氏の陣屋。

現存建築の物見櫓

歴史[編集]

1697年元禄10年)に美作津山藩森家無嗣断絶となった。ただし、幕府は長継に新たに備中西江原藩2万石を与えることで、森氏の存続を許した(のちに播磨国赤穂藩)。その分家であった美作津山新田藩主森長俊は、播磨国佐用郡、揖西郡、宍粟郡65ヶ村1万5千石に領地替えされた。

1698年(元禄11年)に長俊は領地入りし、藩庁の陣屋と家臣屋敷の建設に着手した。その候補地が乃井野村であり、三日月陣屋である。1700年(元禄13年)にはほぼ完成した。以後森家は9代続き、俊滋の時明治維新を迎えている。戊辰戦争では官軍に付いて参戦している。

1871年明治4年)の廃藩置県により、藩庁としての役目を終え解体された。その中で物見櫓長屋は小学校に移築され、公民館として使用されていた。

2003年平成15年)物見櫓、長屋が原位置に戻され、付属する中御門、通用門、橋などが一体的に復元された。

2018年(平成30年)西法寺に移築されていた表門が原位置に戻されて整備された。

遺構[編集]

  • 土塁・石垣
  • 陣屋表門
  • 物見櫓 - 三日月藩創建当初には無かったとされる[2]
  • 中御門(長屋門)と堀 - 一層の櫓門。水堀に石橋が架かる。

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「角川日本地名大辞典28 兵庫県」
  2. ^ 「乃井野陣屋物見櫓案内板」解説。

関連項目[編集]

関連資料[編集]

外部リンク[編集]