ヴェルナー・ヤコビ

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ヴェルナー・ヤコビ
生誕 (1904-03-31) 1904年3月31日
死没 1985年5月3日(1985-05-03)(81歳)
国籍 ドイツの旗 ドイツ
研究分野 電子工学技術者
出身校 ミュンヘン工科大学機械工学)、ミュンヘン大学物理学
プロジェクト:人物伝
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ヴェルナー・ヤコビ(Werner Jacobi、1904年3月31日 – 1985年5月3日)はドイツの物理学者、発明家。

来歴[編集]

ミュンヘン工科大学機械工学を学んだ後、ミュンヘン大学物理学を学んだ。当初はヴィルヘルム・ヴィーンに、ヴィーンの死後はエドゥアルド・リュヒャルト英語版に指導を受けた学位論文では、カナルジェット(: Ladungen der Quecksilberatome im Kanalstrahl)における水銀原子の電荷を扱った[1]。この業績により、博士号を授与された。

1929年11月4日、ヤコビはジーメンス&ハルスケ社に入社。ベルリンのジーメンス管球工場に勤務し、1934年に研究所長に就任すると、瞬く間に頭角を現し、1937年には主任技師、1938年には役員となった。1941年にウィーンのヴェルナーヴェルク無線技術に異動し、1944年に部長となった。1949年にはヴェルナーヴェルクのラジオ技術部門に短期間勤務し、その後エアランゲンのヴェルナーヴェルクに移った。彼の100を超える発明の中で最も重要なもののひとつである「半導体増幅器」はこの時期に発明され、1949年4月15日に特許登録された[2]。この回路は、キャリア材料となる半導体上に5つのトランジスタで構成されており、最初の集積回路である可能性がある。しかし、この回路はほとんど知られておらず、商業的に使用されることはなかった。

1946年から1956年まで、ヤコビはシーメンス管球工場の立ち上げで重要な役割を果たし、その後、管球工場の総責任者となった。1962年に総代表に任命された後、1969年に引退した。68歳の誕生日を迎えるまで、素材部門の経営陣からの質問に答えていたが、その後は完全に会社を去った。

1972年、ウィーン工科大学から、「電子部品および電子回路技術の分野における科学者・発明家としての特別な功績を称え」、技術科学名誉博士号が授与された[3]

英国の電子工学エンジニア、ジェフリー・ダマーもICの発明者と呼ばれることが多いが、彼はシーメンスの特許申請から3年後に自分の研究を発表している。

参考文献[編集]

  • Werner Jacobis personnel index card in the Siemens archive
  • Beitrag zur Verleihung der Ehrendoktorwürde. In: Informationen der Technischen Hochschule Wien. Jahrgang 3, 1972, Heft 2, S. 27 (mit Porträtfoto).

脚注[編集]

  1. ^ Werner Jacobi: Über die Ladungen der Quecksilberatome im Kanalstrahl. Hirzel, Leipzig 1929, zugl. München, Phil. Diss., 1929, auch in: Physikalische Zeitschrift. Jahrgang 30, 1929, S. 568–576.
  2. ^ US 0 
  3. ^ TU Wien: Honorary doctorates at the Wayback Machine (archived 2016-02-21).