ロチュース号事件
ロチュース号事件は、1926年8月2日に公海上で起きた、フランス船「ロチュース号」とトルコ船「ボス・クルト号」の衝突事件である。事件後、裁判管轄権をめぐりフランスとトルコは対立し、やがて常設国際司法裁判所(PCIJ)に付託されることとなったが、このPCIJにおける判決が後に国際法における重要な判例としてたびたび引用されることとなった。
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事件の概要 [編集]
ボス・クルト号は沈没し、トルコ人乗組員8名が死亡した。ロチュース号はその後目的地のコンスタンティノープル港に着いたが、トルコ警察によって調査が進められ、フランス人当直士官(ロチュース号)とトルコ人船長(ボス・クルト号)が逮捕された。フランスは、トルコ当局にはフランス人を訴追する裁判管轄権はないとして抗議、その後1926年10月12日、両国の合意のもと常設国際司法裁判所(PCIJ)に付託されることとなった。
裁判での争点 [編集]
1927年9月7日、PCIJは、裁判で争われたトルコ側の国際法違反行為を否定する旨の判決を下した。
争点となったのは、トルコにフランス人を訴追する裁判管轄権があったかどうかであった。フランスは、事件が公海上で起きたため、事件を起こした船(ロチュース号)の旗国(フランス)のみがこの事件に関する裁判管轄権を有する、と主張した。その根拠として、トルコの裁判管轄権は国際法上認められたものではないとフランスは主張、しかしPCIJは審理されるべきはトルコの裁判管轄権が国際法上「認められているかどうか」ではなく「禁じられているかどうか」であるとし、フランスの主張を退けた。
判決の影響 [編集]
このPCIJによる判決は、国際法によって禁止されていない行為は許されるという命題を示したことでのちに判例として引用されるようになった[1]。これは国際法の基礎をなすものと考えられている。
海上衝突事件においては加害者の本国と被害者の本国の両者に刑事管轄権があると示したこの判決は、国際社会からは受け入れられず、その後1958年の公海条約第11条によって否定されることとなった(それ以前にも、1952年の「船舶衝突及びその他の航行事故の刑事裁判管轄権に関する規則の統一のための国際条約」で一度否定されている)。
参考文献 [編集]
- ^ 田中則夫「ロチュース号事件」『判例国際法 第2版』松井芳郎編、東信堂、2006年。