ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス

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スキピオ•バルバトゥスの墓碑(バチカン美術館蔵)

ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバドゥスラテン語: Lucius Cornelius Scipio Barbatus- 紀元前3世紀共和政ローマの政治家。


恐らくコルネリウス氏族スキピオ家の中で最も古く系譜が辿れる人物であり、彼の墓石が現存している[要出典]

父はグナエウスという名前しか分かってはいないが、息子にはルキウス・コルネリウス・スキピオグナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナがいる。

墓石には以下のような言葉が古ラテン語で書かれている。

ラテン語原文:

CORNELIVS·LVCIVS·SCIPIO·BARBATVS·GNAIVOD·PATRE
PROGNATVS·FORTIS·VIR·SAPIENSQVE—QVOIVS·FORMA·VIRTVTEI·PARISVMA
FVIT—CONSOL CENSOR·AIDILIS·QVEI·FVIT·APVD·VOS—TAVRASIA·CISAVNA
SAMNIO·CEPIT—SVBIGIT·OMNE·LOVCANA·OPSIDESQVE·ABDOVCIT

日本語訳:

コルネルウス・ルキウス・スキピオ・バルバトゥス、父グナエウスより出でて、力と叡智を持ち美徳を容姿に保ちし者ここに眠る。彼は汝たちの執政官、監察官、按察官にてタウラシア、キサウナ、サムニウムを攻略せりし者、ルカニア人を従へ捕虜を解放せし者なり

紀元前298年執政官(コンスル)を務め、主にエトルリア人サムニウム人との攻防に従事した。紀元前280年には監察官(ケンソル)も務めている。彼がケンソルになった頃から現在の我々でも信頼できるローマの統計が取れるようになってきている。

彼の墓石は現在バチカン美術館に保管されている。

家族[編集]