ルイ・ド・ブランジュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ルイ・ド・ブランジュ
人物情報
生誕 1932年8月21日(82歳)
フランスの旗
フランスパリ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身校 マサチューセッツ工科大学
コーネル大学
高等研究所(I A S)
数理科学研究所
学問
研究分野 数学
主な業績 ビーベルバッハ予想の証明(ルイ・ド・ブランジュの定理)
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

ルイ・ド・ブランジュ(ルイス・デ・ブランジェス・デ・ボルシア Louis de Branges de Bourcia、1932年8月21日 - )は、アメリカ合衆国数学者

来歴[編集]

パリに住んでいたアメリカ人の両親の間に生まれ、1941年彼の母親と姉妹がいる米国に移住した。 そのため彼の母語はフランス語である。

マサチューセッツ工科大学(1949-53)で大学生として研究を始める。コーネル大学(1953-7)から数学で博士号を取得。 指導教授は、ハリー・ポラード教授(Harry Pollard)とウォルフギャング・フックス(Wolfgang Fuchs)教授。 彼は高等研究所(IAS)で2年(1959-60)、次いで数理科学研究所(the Courant Institute of Mathematical Sciences)で2年 (1961-2) を過ごし、1962年にパデュー大学に赴任した。ビーベルバッハ予想の証明(1984年)後は、リーマン予想(GRH)を含む数学のいくつかの重要な仮説の証明に取り組み、2009年までに4度、リーマン予想の証明を発表した[1]ことでも知られる。

業績[編集]

1984年ビーベルバッハ予想(en)を証明。そのため、ビーベルバッハ予想は現在ルイ・ド・ブランジュの定理と呼ばれている。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]