メディナセリ

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'Medinaceli'

MedinaceliBanderaAyto.JPG   Escudo de Medinaceli.svg

Plaza Mayor de Medinaceli.jpg
カスティーリャ・イ・レオン州
ソリア県
面積 205.37km²
標高 1202m
人口 804人(2009年)
人口密度 3.91人/km²
住民の呼称 ocelitano
Medinaceli (Soria) Mapa.svg

北緯41度10分24秒 西経2度26分23秒 / 北緯41.17333度 西経2.43972度 / 41.17333; -2.43972

メディナセリMedinaceli)は、スペインカスティーリャ・イ・レオン州ソリア県の自治体。

由来[編集]

アラビア語で『サリムの都市』を意味するmadīnat Sālimに由来する。

歴史[編集]

郊外から眺めたメディナセリ

ヒスパニア・キテリオールにいたケルティベリア人のベロス族(es)の都市オクシリス(es:Occilis)がメディナセリの前身である。その後町はローマの支配下に入った。ローマ人の占領地は、オクシリスのある丘の東側にあった。ローマによるヒスパニア支配時代に、メディナセリの谷での塩の切り出しが始まった(1994年まで続いた)。この時代にメディナセリのローマ門、運河の水源が建設された。水路で運ばれたきれいな水は、ローマ人が作ったタンクに貯められていた。

中世のメディナセリは、キリスト教国とイスラム教国家の国境地帯だった。メディナセリの迷路のような通りは、両手を広げると壁についてしまうほど狭い。

ハロン川とアルブフエロ川の合流地点にあるため、数世紀にわたってメディナセリは価値のある軍事的要所だった。一部の作家によれば、アラブ人のシタデルで、1002年のカラタニャソルの戦いで退却してきたアルマンソル(es:Almanzor)が戦死したという。同様に、スペイン独立戦争においても、フアン・ディエスはナポレオンの侵略軍を前に広場で勇敢に戦った。

1129年、アラゴンアルフォンソ1世は、メディナセリとシグエンサを含むアルト・ハロン地方、モリナ・デ・アラゴンの飛び地を占領した。そのすぐ後、カスティーリャ王国がこれらを獲得した。

アンティグオ・レジメン崩壊後、町はカスティーリャ・ラ・ビエハ地方のムニシピオとなった。1842年の調査では、人口は1,600人だった。

19世紀半ば、サリナス・デ・メディナセリが分離すると、人口の減少が始まった。20世紀後半、サリナス・デ・メディナセリを含む複数の自治体と統合し、人口が増加した。

環境[編集]

カンポ・タランス(es)のムーアは、動植物の生物多様性保護区および鳥類保護区として、ナトゥラ2000(esEUの機関)に登録されている。

みどころ[編集]

  • ローマ門 - スペイン国内に現存するローマ時代の門3箇所のうちの一つ。1世紀から3世紀に建造。
  • 城 - アラブ時代の要塞を備える。かつてはメディナセリ伯爵家(のち公爵)が邸宅として使っていた。
  • マヨール広場 - かつてのローマのフォルム跡に作られた。東側はメディナセリ公爵宮殿が接する。
  • 公爵宮殿 - 16世紀のルネサンス様式。メディナセリ公爵家の紋章が正面に飾られている。19世紀の間、ほぼ廃墟のまま放置されていた。現在は修復され博物館となっている。
  • サンタ・イサベル修道院 - 16世紀。サン・マルティン教会に隣接する。メディナセリに4つあった修道院のうち、唯一現在も機能している。
  • サン・ロマンのベアテリオ - 現在は廃墟。かつてはシナゴーグだった。

外部リンク[編集]