ムナ

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Menat

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) ピュイ=ド=ドーム県
(arrondissement) リオン郡
小郡 (canton) サンテロワ=レ=ミーヌ小郡
INSEEコード 63223
郵便番号 63560
市長任期 ダニエル・マジュル[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays de Menat
人口動態
人口 557人
2012年
人口密度 27人/km2
住民の呼称 Menatois
地理
座標 北緯46度06分16秒 東経2度54分19秒 / 北緯46.1044444444度 東経2.90527777778度 / 46.1044444444; 2.90527777778座標: 北緯46度06分16秒 東経2度54分19秒 / 北緯46.1044444444度 東経2.90527777778度 / 46.1044444444; 2.90527777778
標高 平均:m
最低:346m
最高:674m
面積 20.31km2
Menatの位置(フランス内)
Menat
Menat
公式サイト www.commune-de-menat.com
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ムナMenat)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ピュイ=ド=ドーム県コミューン

地理[編集]

ムナは自然区分上のコンブライユ地方に位置する。シウール川がコミューンの東側の境界となっている。

由来[編集]

ムナの名は、ラテン語でManathensisまたはCellula Manatensisと書かれていた6世紀にさかのぼる(cellulaとは、修道士が祈り生活する部屋、celluleにつながる。要するに、小さな修道院となる)。1286年の文書にはMenatumの名が文書に見られる。語源は家を意味するmansioか、ラテン語の姓のmasoからきている[2]アルベール・ドーザとシャルル・ロスタンは、mansio(フランス語でもオック語でも家を意味する)の派生語なのか、ラテン語の人名masoなのか、いずれかを原語としてガリア語の接尾辞の-acumがついたものなのか、ためらっている。しかし6世紀の複数の文書においては接尾辞の存在はどちらも弱まる。

歴史[編集]

アンシャン・レジーム時代、少なくとも14世紀から、ムナはクレルモン司教座の中の15ある助祭区の1つだった[3]

1790年にコミューンができると、現在のムナとヌフ・エグリーズは1つのコミューンとしてムナの名を採用していた[4]。次第にヌフ・エグリーズはコミューンからの分離を望むようになった。行政の過程は長かったが、植物学者アンリ・ルコックの働きのおかげで、1883年にコミューンは2つに分かれた。ヌフ・エグリーズの初代首長は、ルコックの同名の甥であった[5]

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
1002 912 813 703 640 610 594 557

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[6]、2004年以降INSEE[7][8]

史跡[編集]

  • 教会 - 何世紀にもわたって何回か変更がされている建物だが、最も古い部分であるロマネスク様式の身廊は12世紀のものである。
  • 化石と古生物博物館
  • ムナ修道院 - 6世紀には既に存在していた。『聖アヴィの生涯』では、聖アヴィがムナの神学校で学んだことにふれている。修道院はアンジュー生まれのメネレによって685年から690年の間に建てられた。仲間のサヴィニアンとコンスタンスに助けられて修道院ができるが、クロタール1世の死後に発生した継承戦争によって破壊されてしまう。そこではベネディクト会の戒律が採用されていた。812年、ルイ敬虔王はアキテーヌ王国内、特にオーヴェルニュのいくつかの修道院を復元した。彼はムナ修道院に、兵役や手数料の免除といった、様々な特権を付与した。フランス革命によって修道院が消滅させられたとき、ムナ修道院にいた聖職者は3人だけだった。建物は国家資産として売られ、様々な所有者が買った。
  • ムナ橋 - 段差舗装されており、発祥は不明である。シウール川に架けられ、ムナとサン・レミ・ド・ブロとの間で分けられている。

脚注[編集]

  1. ^ Liste des maires 2014, site de la préfecture du Puy-de-Dôme (consulté le 28 septembre 2014).
  2. ^ André-Georges Manry (dir.), Histoire des communes du Puy-de-Dôme : Arrondissement de Riom, Éditions Horvath,‎ réédition 1991, p. 251.
  3. ^ Alexandre Bruel, Pouillés des diocèses de Clermont et de Saint-Flour du XIVe au XVIIIe siècle, Paris, Imprimerie nationale,‎ , p. 11.
  4. ^ Décret de l'Assemblée constituante du 14 décembre 1789.
  5. ^ André-Georges Manry (dir.), Histoire des communes du Puy-de-Dôme : Arrondissement de Riom, Éditions Horvath,‎ réédition 1991, p. 253.
  6. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=21928
  7. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  8. ^ http://www.insee.fr