マンフレドーニア

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マンフレドーニア
Manfredonia
マンフレドーニアの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
プッリャ
ファイル:Provincia di Foggia-Stemma.png フォッジャ
CAP(郵便番号) 71043
市外局番 0884
ISTATコード 071029
識別コード E885
分離集落 Siponto, Riviera Sud, San Salvatore, Pastini, Tomaiuolo, Ruggiano
隣接コムーネ カラペッレチェリニョーラフォッジャモンテ・サンタンジェロサン・ジョヴァンニ・ロトンドサン・マルコ・イン・ラーミスザッポネータ
公式サイト www.comune.manfredonia.fg.it
人口
人口 57,424 (2004年12月31日)
人口密度 163.90 人/km2
文化
住民の呼称 manfredoniani または sipontini
守護聖人 San Lorenzo Maiorano
祝祭日 2月7日
地理
座標 北緯41度38分0秒 東経15度55分0秒 / 北緯41.63333度 東経15.91667度 / 41.63333; 15.91667座標: 北緯41度38分0秒 東経15度55分0秒 / 北緯41.63333度 東経15.91667度 / 41.63333; 15.91667
標高 海抜 5 m
面積 351 km2
マンフレドーニアの位置
マンフレドーニアの位置
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マンフレドーニア (Manfredonia) は、人口57,424人のイタリア共和国プッリャ州フォッジャ県コムーネの一つである。

[編集] 歴史

マンフレドーニアの歴史はイリリアから海を渡って来て古代シポント付近に定住した古代ダウニ族にまで遡る(シポントはおそらくスミイカの意)。実際、この都市はトロイ戦争の英雄ディオメデスに起源を発している。続いてローマ人に征服された。1223年の地震には毒性の沼に変わり、フェデリーコ2世の息子マンフレーディが自らの名をつけて少し北に都市を企画し創設した。

1256年に礎石が置かれた。近くのシポントの遺跡を使用してマンフレドーニアは造られた。マンフレーディは城の建設を開始したが、ベネヴェントの戦いシャルル・ダンジューと戦って死んだため、彼の存命中には終わらなかった。アンジュー家はギベッリーニのマンフレーディの記憶をなくすため城の建設を終わらせ、町の名前をSypontum Novellum(Nuova Siponto、新シポントの意)に変えたが定着しなかった。

1620年、マンフレドーニアはオスマン帝国の残虐な放火や略奪などの攻撃により被害を受け、城と城壁だけが残った。再建は遅れ、1800年代初頭に街道や港、商業の促進などが改善され、街は新たに拡大と成長した。

[編集] 経済

アドリア海での漁港では最も活発で(ガルガーノの沿岸やトレーミティ諸島への海上交通の要所である)、またマンフレドーニア近郊のシポントでの海水浴は旅行者の人気の中心になっている。

[編集] その他

ホーエンシュタウフェン=アンジューの城、サンタ・マリア・ディ・シポントのバジリカ、サン・レオナルド教会などの建造物が記憶に残る。

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