マレーシア航空2133便着陸失敗事故

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マレーシア航空 2133便
同型機のフォッカー 50
事故の概要
日付 1995年9月15日
概要 パイロット・エラー
現場 マレーシアの旗 マレーシア タワウ空港
北緯4度18分0秒 東経118度6分0秒 / 北緯4.30000度 東経118.10000度 / 4.30000; 118.10000座標: 北緯4度18分0秒 東経118度6分0秒 / 北緯4.30000度 東経118.10000度 / 4.30000; 118.10000
乗客数 49
乗員数 4
負傷者数 不明
死者数 34
生存者数 19
機種 フォッカー 50
運用者 マラヤ連邦の旗 マレーシア航空
機体記号 9M-MGH
出発地 マラヤ連邦の旗 コタキナバル国際空港
目的地 マラヤ連邦の旗 タワウ空港
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マレーシア航空2133便着陸失敗事故は、1995年9月15日に発生した航空事故。コタキナバル国際空港タワウ空港行だったマレーシア航空2133便(フォッカー 50)が、タワウ空港からの復航中に墜落し、乗員乗客53人中34人が死亡した。この事故は、フォッカー50で発生した初めての機体損失事故だった[1][2][3]

当日の2133便[編集]

事故機[編集]

事故機のフォッカー50は、1990年に製造され、同年に初飛行を行っていた[1]

乗員乗客[編集]

当日、2133便には2人のパイロットと2人の客室乗務員、49人の乗客が搭乗していた[4]

事故の経緯[編集]

2133便は、飛行予定時間1時間ほどの国内便だった。天候も良く、視程にも問題はなかった。2200mある滑走路17の末端から500m手前に着陸した。乗員は、後に「着陸時に、機体の左側が衝突したと感じ、小さな爆発があった」と証言した。また、「何度か機体がバウンドした」とも話した。パイロットは復航を開始したが、間に合わずスラム街に墜落した。パイロット2人と乗客34人の計36人が死亡した。スラム街の45軒ほどの家が被害を受けた[1][3][4][5]

事故調査[編集]

調査委員会は、パイロットが標準的な手順に従わなかったことと、意思決定能力の不足が事故の原因となったと結論付けた。報告書で、副操縦士が、機長に危険な操縦を注意したり、操縦交代を申し出なかったことを指摘した。また、要因として管制官が適切な誘導をしなかったことをあげた[1]

関連項目[編集]

脚注[編集]