ブリムストーン・ヒル要塞国立公園

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世界遺産 ブリムストーン・ヒル要塞
国立公園
セントクリストファー・ネイビス
BrimstoneHill01.jpg
英名 Brimstone Hill Fortress National Park
仏名 Parc national de la forteresse de Brimstone Hill
面積 15 ha
登録区分 文化遺産
登録基準 (3), (4)
登録年 1999年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
ブリムストーン・ヒル要塞国立公園の位置
使用方法表示
ブリムストーン・ヒルの戦い

ブリムストーン・ヒル要塞国立公園(Brimstone Hill Fortress National Park)は、カリブ海の島国セントクリストファー・ネイビスセントクリストファー島(セントキッツ島)にある、17世紀から18世紀にかけてイギリスが建てた、約38エーカー以上もの広さを持つ、西インド諸島最大の要塞の史跡である。 この要塞は、セントクリストファー島の首都バセテールから北の海岸線に沿ったブリムストーン・ヒル(硫黄の丘)の海抜約250mの高さのところにある。イギリス人の設計により、ほぼ90年間の歳月を費やして、1782年に完成させた要塞である。実際の建設作業には、アフリカから連れて来られた奴隷の労働力が充てられた。

17世紀から18世紀にかけて、セントクリストファー島とネイビス島は、イギリスとフランスとの間で領有を巡って対立していた。1690年、フランスを駆逐した後、イギリスはブリムストーンに要塞を立てた。そして、1736年までに要塞には49丁の銃を保持していた。そして、イギリス軍による西インド諸島攻略の拠点地として、「西インド諸島のジブラルタル」と呼ばれていた。1782年2月に、フランス艦隊がブリムストーン・ヒル要塞を攻撃した。1,000人のイギリス軍は頑強に抵抗したが降伏した。そしてフランス軍は、最後まで戦ったイギリス駐屯軍の英雄的な防御に敬意を表した。その1年後の1783年、ヴェルサイユ条約によりフランスがセントクリストファー島をイギリスへ返還した時、同じ名誉はフランス駐屯軍に一致した。

1834年にハリケーンにより要塞は損害を受け、1851年にはブリムストーン・ヒル要塞は放棄された。そして、砦は20世紀中頃まで軽視され、破壊が進むままにされていた。1965年に国立公園になり、破壊を受けた部分は修復が進んで、1985年に女王エリザベス2世によって捧げられる国立公園の一部となり、1999年にはブリムストーン・ヒル要塞国立公園としてユネスコ世界遺産に登録された。

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

外部リンク[編集]