フランツ・ヴァスナー

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フランツ・ヴァスナー
Franz Wasner
生誕 (1905-12-28) 1905年12月28日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 フェルトキルヒェン・バイ・マッティッヒオーフェン英語版
死没 1992年6月21日(1992-06-21)(86歳)
 オーストリア ザルツブルク
職業 神父、宣教師、音楽ディレクター
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フランツ・マティアス・ヴァスナー(Franz Mathias Wasner、1905年12月28日 - 1992年6月21日)は、オーストリアカトリック司祭宣教師である。トラップ・ファミリー合唱団英語版の歌唱指導、指揮を行ったことで知られる。トラップ一家の物語を脚色したミュージカル作品『サウンド・オブ・ミュージック』やその映画化作品におけるマックス・デトワイラーに相当する。

生涯[編集]

ヴァスナーは1905年12月28日オーバーエスターライヒ州マッティヒホーフェン英語版近郊の小さな町であるフェルトキルヒェン・バイ・マッティッヒオーフェン英語版で生まれた。インスブルック大学を卒業後、司祭に叙任され、チロル州の農村マイヤーホーフェン英語版で1年間奉仕した。ローマで教会法を学び、1934年に卒業した。

ヴァスナーはザルツブルクに戻り、ゲオルク・フォン・トラップと親しい友人になった。ローマで教会音楽も学んでいたヴァスナーは、ゲオルクの子供たちやゲオルクの後妻のマリア・フォン・トラップに合唱の指導を行った。これが好評となり歌を各地で披露するようになると、ヴァスナーはコンサートツアーにディレクター兼指揮者として同行するようになった[1]。また、インゲボルク・バッハマンクリスティアン・モルゲンシュテルンゲオルク・トラークルなどの詩に曲をつけて60曲以上の歌曲やいくつかのミサ曲を作曲した。1939年、トラップ一家がアメリカに亡命する際には、ヴァスナーも同行している。

1956年にトラップ・ファミリー合唱団の活動が終了した後、1958年にヴァスナーは宣教師としてフィジーに派遣され、1966年までここで宣教活動を行った[2]。フィジー滞在中、フランス人画家ジャン・シャルロ英語版に、教会の壁画の製作を依頼した。

1967年にローマのサンタマリア・デッラニマ・チュートン研究所英語版の所長に任命され、1981年まで務めた。

1992年6月21日にザルツブルクで死去した。

脚注[編集]

  1. ^ Franz Waner (Choral Conductor) - Short Biography”. www.bach-cantatas.com. 2021年3月20日閲覧。
  2. ^ Franz Wasner”. The Sound of Music Salzburg (2020年9月23日). 2021年3月20日閲覧。