フェルディナント・ティーマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨハン・カール・ヴィルヘルム・フェルディナンド・ティーマン
Johann Karl Wilhelm Ferdinand Tiemann
1880年頃、ベルリンにて
生誕 1848年6月10日
ハノーファー王国 リューベラント(現在のエルビンガーオーデの一部)
死没 1899年11月14日
オーストリア=ハンガリー帝国 メラーノ
研究機関 ベルリン大学
出身校 ブラウンシュヴァイク工科大学
博士課程
指導教員
アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン
博士課程
指導学生
ジュリアス・スティーグリッツ英語版,
カール・ハリース英語版
主な業績 ライマー・チーマン反応,
ティーマン転位
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

フェルディナント・ティーマン(Johann Karl Wilhelm Ferdinand Tiemann、1848年6月10日-1899年11月14日)は、ドイツ化学者であり、カール・ルートヴィヒ・ライマードイツ語版とともにライマー・ティーマン反応を発見した。

生涯[編集]

1866年初めから彼はブラウンシュヴァイク工科大学薬学について学び、1869年に卒業した。大学の担当教授はベルリン大学アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンに推薦状を書き、そこでティーマンは1869年からホフマンの助手として働き始めた。1874年、ヴィルヘルム・ハーマン英語版とティーマンはコニフェリルアルコールからバニリンを合成する方法を開発し、その後2人は会社を設立した。しかし、ライマーが別の方法によるバニリン合成の道を開くライマー・ティーマン反応を発見するまで、工場は上手くいかなかった。1882年、ティーマンはベルリン大学の教授になった。1876年コテニウス・メダル受賞。

ティーマンは、ニオイスミレに含まれるイオノン合成の研究に参加し、ハーマン & ライマー社(現・シムライズ)に大きな利益をもたらした。

ホフマンは、ティーマンの妹のベルタと結婚した。

著作[編集]

  • Tiemann-Gärtner's Handbuch der Untersuchung und Beurtheilung der Wässer : zum Gebrauch für Apotheker, Ärzte, Chemiker, Fabrikanten, Medicinalbeamte und Techniker ; mit 40 Holzstichen u. 10 Taf. . Vieweg, Braunschweig 4. Aufl. / bearb. von Georg Walter und August Gärtner 1895 Digital edition by the University and State Library Düsseldorf