ノート:都筑郡

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

旧「都筑郡」範囲の確認、および記事の編集方針について[編集]

(内容は再掲、従来の提案等(下記)を整理したものです。)

旧都筑郡は(現在の麻生区黒川から横浜市北部の丘陵地を経て横浜市旭区二俣川付近までの)広い範囲にわたっており、現在の横浜市都筑区旧都筑郡の極一部でしかありません。つまり現在の横浜市都筑区とは一致しませんが、郡が存続していた頃(奈良時代から昭和14年まで)の歴史的経緯についての記述は限られている一方、郡外の記述や、限られた地域の、しかも当郡消滅後の記述ばかりが増えてしまう事がありました。

しかしこれでは、あえて消滅郡の記事を探し見に来た読者さんの期待に応えられない(現在の事を知りたい人はまず都筑区東急田園都市線多摩田園都市など見ておられるでしょう、それらの記事にたくさん書いてありそうな内容の subset をここで再度見せても仕方ない、むしろガッカリされてしまう恐れがある)ばかりか、旧都筑郡のことを調べに来ている読者さんに誤解を与える恐れすらあります。

とはいえ、中途半端に最近の事が書いてあると、記事を充実させたいと思う方々の厚意で補足されてゆくのかもしれません。そこで、郡消滅後の記述(先の編集で都筑郡#現在の姿にまとめた部分)は現存の各行政区の記事に譲ることにして一旦消し、代わりに
郡消滅後の事象については、旭区 (横浜市)保土ケ谷区緑区 (横浜市)都筑区港北区青葉区 (横浜市)、および麻生区を参照。
の注意書きを記事冒頭に載せておくことにしました。

本方針についてご意見等がございましたら、記事編集前に本ノートの所定欄で提案をお願いします。歴史的経緯など消滅郡ならではの記述を充実させるために、ご理解・ご協力をお願いいたします。

旧都筑郡地域以外の記述について[編集]

本文中 「一般に「旧都筑郡」という場合には、国道246号・東急田園都市線沿線に当たる都筑区・青葉区 (横浜市)・麻生区・宮前区・高津区・多摩区の範囲を総称する事になる。」 との記述がありますが、このうち「宮前区・高津区・多摩区(現在)」の範囲は旧橘樹郡であり、また「旧都筑郡」と呼ばれていると聞き及んだこともないのですが、この点は修正しても構わないでしょうか?

または、もし上記のような事実があるという場合は、その旨お聞かせください。 --Cory 2006年5月7日 (日) 10:11 (UTC)[返信]

都岡村、二俣川村、西谷村はおおよそ相模鉄道沿線であり、郡のエリアとして「概ね東急田園都市線・国道246号の沿線である。」とすることや、「横浜市街地や川崎市街地との関係が浅い地域である。」とするのは、上記のCoryさんの指摘と含めてどうにも違和感があるように思えるのですが、いかがなものでしょうか。 エリアとしては「概ね横浜市西北部」としておくのが妥当かと思われます。 --なもま 2006年5月13日 (土) 05:10 (UTC)[返信]


特に反対意見は出ないこと、また後日調べてみたところ元の記事は事実誤認が含まれると判断されたので、書き換えさせていただきました(ついでに本ノートに見出しを付けました)。

まず、本記事に書きましたとおり、都筑郡の川崎市への編入地域は

  • 旧柿生村
    上麻生、下麻生、王禅寺、早野、五力田、古沢、万福寺、片平、栗木、黒川の各地域
  • 旧岡上村

のみです。つまり現在の麻生区の大部分が該当します。

そこで、冒頭の記述については、なもまさんに例示いただきました(ありがとうございます)記述に、麻生区を加えたものに変更しました。

麻生区の地域は、かつて多摩区であったこと、また川崎市に編入されたとき(区制施行前)は市北部の行政の中心が旧高津町付近にあったので、このような記述になったのでしょうか?よくわかりませんが、現在の高津区宮前区多摩区はほぼ全域が旧橘樹郡であり、都筑郡に属していたという記録はありません。

しかし、本記事中には高津区宮前区の記述が多分に含まれており、いっぽう麻生区の記述がありません。これでは事実を誤認させる恐れがあるので書き直させていただきました。特に「概要」「交通」その他については全面的に直させてもらい、とりあえず体裁を取ってみました。

なお、相鉄沿線(二俣川、西谷)については状況がよくわからないので割愛しています。

しかし、そもそも消滅郡の記事なので、現在の交通網や施設などについては現在の行政区へのリンクにした方がむしろ情報の最新性・正確性・網羅性を保てるものと思います。よって、ここでは歴史的経緯および横浜・川崎への編入前の事象についての記述を中心とし、

  • 本記事には、現状についての詳細な記述は思いきって省略し、
    代わりに現在の行政区へのリンクを設定する

のがいいと思いますが、いかがでしょうか。

「概要」以下については、とりあえず都筑郡#現在の姿として、旧都筑郡以外の記述を削除した外は残しておきましたが、そのうち上記のように直させていただこうかと思います。ご意見等ありましたら、本ノートでお願いします。
--Cory 2006年5月31日 (水) 17:46 (UTC)[返信]

郡消滅以降の記述の整理について[編集]

ご意見等は下記にお願いします。

上記の方針に沿って先に整理させてもらった以降、また郡消滅後の事や他地域(多摩区・宮前区・高津区など旧橘樹郡地域)の事が追記され、いっぽう郡存在当時の隣接郡へのリンク(多摩郡など)は消されてしまっているようです。
編集方針の合意形成を図るべく、以前よりここで提起していたのですが、それが結果的に無視されているようで、正直、残念に思っています。現在の記事に郡消滅以降の事象が多く書かれているので、このような事になってしまうのでしょうか?

しかし、本ノートで提起させていただいた件については特に異論が出ないようですので、前述の方針どおり、郡消滅以降の(行政区画以外の)記事は一旦消し、代わりに現在の各区へのリンクを設定しておきます。また本ノートの論点整理をして冒頭に追加しておきます。
--Cory 2006年6月12日 (月) 16:12 (UTC)[返信]

上記のとおり、郡消滅以降の事象(行政区画の変遷以外)を整理しました。
また、明治より前の歴史について追記しました。都筑郡については当方あまり詳しくないので、手許にある資料等を調べて分かる範囲で書いてみました。当郡存続時の歴史について過不足ありましたら、詳しい方の追記をお願いいたします。

そして、これも既に提案しているとおりですが、各ニュータウン開発や各種施設など郡消滅以降の事象については、各区へのリンクを冒頭に(本文中および枠囲いで)追加しています。その先に詳しく書かれているようですし、今後追記する必要があっても既存各区の記事にまとめて書いた方が、参照性・編集性ともに向上し分かりやすいと思います。

今回追記した歴史的経緯の概略を含めて、周辺各消滅郡の記事と併せて読むことで、旧武蔵国南部地域(神奈川県川崎・横浜地域)の歴史的経緯を辿りたい読者の参考になる記事になっていれば幸いです。
以上、よろしくお願いいたします。--Cory 2006年6月12日 (月) 17:12 (UTC)[返信]