ノート:科学的実在論

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道具主義との関係[編集]

道具主義が「それは実在を写したものかどうかは分からないし、実在していようがしまいが気にかけない」であるなら、それは実在論と反実在論のどちらが正しいか分からないし、どちらが正しいか気にかけないということであり、実在論と対立とする記述とは論理的に矛盾しています。--量子力学のド素人ことryon 2007年3月10日 (土) 17:32 (UTC)[返信]

同じテーマですので、ノート:道具主義の方で返答しました。Was a bee 2007年3月10日 (土) 18:08 (UTC)[返信]
道具主義の方の返答は「対比」に関するものであり、「対立」に関する返答にはなってないようです。--量子力学のド素人ことryon 2007年3月10日 (土) 18:48 (UTC)[返信]

緒論が対立する背景について[編集]

波動関数位相速度が光速を超えていることを事例として挙げるのは正しくないでしょう。導波管内を進む電磁波も「位相速度>光速群速度[1](導波管と群速度で検索すれば類似のページが沢山見つかります)なわけで、位相速度が光速を超えたら相対性理論と矛盾するなら、相対性理論マクスウェルの方程式に反していることになってしまいます。また、波動関数のページによれば、「波動関数の収縮」速度が光速を越えるか越えないかは議論の対象であって、「その状態は一瞬のうちに全宇宙的に変化する」とする結論は出ていないようなので、この部分の記述も適切ではありません。量子力学を事例としてあげるなら、波と粒子の二重性について挙げれば良く、そのことから電子の大きさにまで言及すれば良いでしょう。--量子力学のド素人ことryon 2007年3月11日 (日) 16:23 (UTC)[返信]

とりあえずまず導波管の位相速度については理解。電波が壁bにほぼ垂直に入射・反射しながら導波管の奥へと少しずつ進んでいくとき、導波管の奥行き方向で座標軸を設定して位相の進行速度を測ると、光速を超える。これは電波の進行方向と垂直に近い軸で等位相面を追いかけたときに光速を超える、という話ですね。
次に波動関数についてですが、これは記事波動関数から引っ張っぱりました。どこかで聞いたことがある気がしたので、特に検証せずに引っ張ってしまいましたが、電磁波や水波などを表現する波動方程式が時間に対して二階微分なのに対し、シュレディンガー方程式は時間に関して一階微分であり、単純に等価な式ではなかったような記憶があるのですが、どうだったでしょうか。この点に関する自分の理解はかなり怪しいです。完全に忘れてます。記述削除が妥当です。
あとコペンハーゲン解釈では、観測により状態がδ関数化する、またはもっと穏当に言えば時間的に不連続に波動関数の状態が変化する、という点は常にあると思うのですが、はっきりした文献がみつかるまでの間は、これらへの言及も削るほうがいいですね。以上、取り急ぎ。Was a bee 2007年3月13日 (火) 10:56 (UTC)[返信]
論点とすべきは、位相速度や群速度が持つ意味であり、物質的または情報的に光速を超えるかどうかです。専門家によれば、「粒子の速度に対応するのは,位相速度ではなく群速度である[2]」「古典力学での粒子の運動と対応しているのは群速度の方である[3]」ということです。物質的な速度を示すのが群速度の方であることには違いがないので、本件において、電磁波と波動関数の式の違いを論じるのは無意味でしょう。
波動関数の収縮についても、論じるべきは物質的または情報的に光速を超えるかどうかです。
  • 収縮速度が光速を越えるか越えないか?
  • 収縮速度が光速を越えたとして、それは物質的または情報的に光速を超えるのか?
科学的実在論を否定する根拠とするには、収縮速度が光速を越え、かつ、それが物質的または情報的に光速を超えることが必須となるはずです。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月27日 (金) 10:13 (UTC)[返信]
とりあえず、論点となるのは波動関数に対応する何かはあるのか、という事だけです。交流電気回路の計算において、回路の線形性が担保されたときに、実部の計算を簡便化するために便宜的に用いられるwtのような複素数は単なる道具であり、対応する実在はもちません。波動関数がこうしたものなのかどうか、というのがこの文脈における論点です。そしてこうした基本事項についての更なる疑問に関してはまず以下のページをご参照ください。
以上取り急ぎ。--Was a bee 2007年4月27日 (金) 15:31 (UTC)[返信]
位相速度光速を超えることが、実在を否定する根拠として本文が書かれているのだから、それが根拠として成り立つかを論じているわけです。「実在する物が光速を超えるなら相対性理論に反するから実在が疑わしい」という趣旨で書かれていると思われるので、相対性理論に反しないなら実在を疑う根拠にはならないと言ってるだけです。違う趣旨で書かれていると仰るなら、何故、光速を超えれば実在を疑う根拠になるのか明示すべきでしょう。根拠となる理由がないなら、根拠になると主張出来ないはずです。--2007年4月28日 (土) 10:59 (UTC)
位相速度が光速を越えるという点については、現状ソースなしゆえ「削除妥当」と上で書いております。また他の知識との整合性に関する一連の議論についてはまず以下をご覧ください。
The Coherence Theory of Truth - スタンフォード哲学百科事典
--Was a bee 2007年4月28日 (土) 11:15 (UTC)[返信]
またここはあなたの「反論や疑問に回答」[4]してあげるための便利サイトでも討論サイトでもありません。そうお考えなのであれば、どうぞお引取りください。以下のサイト群にすでに十分な情報が用意されています。
理解できなければ以下のサイトでご質問ください。
議論したければ次のようなサイトへどうぞ。
--Was a bee 2007年4月28日 (土) 11:39 (UTC)[返信]

Undo revision 12148930 by Was a beeについて[編集]

ノート:道具主義において道具主義の記述について「問ない」が間違いで「問ない」が正しいと認めたのは他ならぬWas a bee氏です。それならば、当然、このページにおける道具主義の記述も「問ない」を「問ない」に正さないと間違いであるはずです。文脈に合わないから間違った記述に戻すという論理はおかしい。もし、文脈が合わなくなるのであれば、文脈が合うように他の部分を訂正すれば良いだけです。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月27日 (金) 08:34 (UTC)[返信]

ちなみに、私には、訂正によって文脈が合わない部分が見つけられません。文脈が合わない部分があるなら、自ら修正するなり、箇所を明示して修正依頼をかけるなりすればよろしいでしょう。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月27日 (金) 08:36 (UTC)[返信]

概念が実在を映しているかの文脈で話が進んでいるのに、いきなり知りうるかの話に移るのは意味が分かりません。何度も説明したようにこの考え方の根拠として知りえない、の話が出てくるのであり、論証のレベルがまったく違います。以上簡単ながらご返答までに。
あと一点。ここはコメント依頼のページとは違いますがお手を煩わすのもなんですので、一気に書いておきます。Wikipedia:コメント依頼/Wiki ryon提出から今日で一週間になります。これで最後の質問となりますが、「今後も自身の編集方針について、とくに考えを改める気はない」ということでよろしかったですね。以上、確認までに。--Was a bee 2007年4月27日 (金) 09:00 (UTC)[返信]
「概念が実在を映しているか」と「知りうるか」が違うと仰るわけですね。だとすると、主張が支離滅裂です。科学的実在論と道具主義が対立する点は、知識テーゼ=「知りうるか」であると主張されるのだから、両者の対比に「概念が実在を映しているか」を論じる必要は全くありません。そもそも、道具主義が「問ない」であるなら、「概念が実在を映しているか」を論じることは不可能です。「知りうるか」によって対立するのであれば、「知りうるか」について書かれるべきであり、そこに対比の対象でない「概念が実在を映しているか」が出て来る方が文脈として合わない記述です。
何度も言いますが、「考えを改めなければならない編集方針」が具体的に何か示されてない以上、改めるとも改めないとも申し上げようがありません。コメント依頼のページとは違うことを理解しているなら、このページに書くのは不適切だと分かっているのだから、それこそ改めるべき編集方針ではないでしょうか。別のページに書けばどうして「お手を煩わす」ことになるのか聞きたいですね。むしろ、このページに書かれることで、既にした説明をまたしなければならなくなったり、別のページに転記したりする手間が増えるだけです。Was a bee氏の主張は単なる言い訳にしか聞こえません。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月27日 (金) 09:23 (UTC)[返信]
「文脈に合わないから間違った記述に戻すという論理はおかしい」に反論されないなら、文脈に合わないことをいくら力説されても、Was a bee氏によるrevertが適切ではなかったことへの反論になりません。何故なら、正確さより文脈を優先する、もしくは、revertした文章の方が正確であることを示せなければ、どんなに文脈が合ってなくても、revertを正当化出来てないからです。「revertした文章の方が正確である」ことについては、Was a bee氏による道具主義の編集から成り立たないことが明らかです。また、「正確さより文脈を優先する」ことについては何ら説明がありません。ノートページ は本文の記述内容について議論する場であって、個人的なことを話す場ではありません。よって、本文の編集についての議論等とならないことを書いても無意味です。
本来なら、ここに書くべきことではないのですが、一方的に非難されたままでは不公平なので、一度だけここに書きます。ノート:道具主義で私が主張したことを全面的に受け入れて本文に反映したのは、他ならぬWas a bee氏です。そのことについて次のどちらが真相なのか、Was a bee氏に聞いても未だに回答がありません。
  • 本当に独自の調査なら、全面的に受け入れて本文を編集したWas a bee氏も同罪
  • Was a bee氏の編集に問題がないなら、独自の調査でなかったことを自身が認めている
以後、この件について何かあればWikipedia:コメント依頼/Was_a_bee_20070421Wikipedia:コメント依頼/Wiki_ryonでどうぞ。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月27日 (金) 09:57 (UTC)[返信]